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「蓮生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蓮生の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
茶師の赤銅色の裸体が燻《くす》んだ色の町に目立っていた。私たちは藤枝の宿で、熊谷蓮生坊が念仏を抵当に入れたというその相手の長者の邸跡が今は水田になっていて、早苗....
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
て「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷《くろだに》で参詣人《さんけいにん》が蓮生坊《れんしょうぼう》の太刀《たち》を戴《いただ》くようなかたで、苦沙弥先生し....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
車に乗って、鎌倉へ往った。勝三郎はこの夕に世を去った。年は三十八であった。法諡を蓮生院薫誉智才信士という。 九月十二日に勝久は三世勝二郎の柩を荼※所まで見送っ....
山本有三氏の境地」より 著者:宮本百合子
体となり、新潮社から『演劇新潮』を発行。推されて一年間その編輯主任となる。「熊谷蓮生坊」「大磯がよい」「女中の病気」「スサノヲの命」。 一九二五年。松竹キネマ....
大衆闘争についてのノート」より 著者:宮本百合子
ことにする。 あたみへの直通道路京浜国道の延長のイギその軍事的性質 飯田岡、蓮生寺、堀之内の青年幹部が主唱、部落会議。蓮生寺境内で富永消防組の小頭会議をひら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
上の余髪は手拭でていねいにあしらって、その上へ笠をいただきながら、 「へんてこな蓮生坊《れんしょうぼう》が二人出来上った」 苦笑しながら笠の紐を結んでいると、....
細木香以」より 著者:森鴎外
寿海老人が、猿若町一丁目の家に歿した。香以は鶴寿と謀って追善の摺物を配った。画は蓮生坊に扮した肖像で、豊国がかいた。香以の追悼の句の中に「かへりみる春の姿や海老....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
仏蘭西《フランス》式の頭髪をながめました。 「ひと思いにこうしてしまった、洋式の蓮生坊《れんしょうぼう》かな」 甚三郎は静かに、艶《つや》やかな髪の毛の分け目....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
武州|熊谷《くまがや》の宿へ入りました。 ここでは規定の神社参拝のほかに、熊谷蓮生坊の菩提寺《ぼだいじ》なる熊谷寺《ゆうこくじ》に参詣をしようと、二人が町並を....
法然行伝」より 著者:中里介山
たが、結縁《けちえん》の為めに四帖の疏の文字読みばかりを受け、遂に出家して実信房蓮生《じっしんぼうれんしょう》と号しその後夢に善光寺の本尊を感得したりなどして承....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、実朝の歌を多く取ったのは別として、泰時・重時・政村などは関東の意を汲んだので、蓮生坊宇都宮頼綱は岳父だから、信生法師は宇都宮の一族の上、実朝と歌の上で親しい臣....
私本太平記」より 著者:吉川英治
り草にもなったように、熊谷はその場でもとどりを切って逐電し、法然上人の許で、名も蓮生坊とかえ、生涯、弓矢を捨ててしまったのだ。――これは当時、平家に代って誇って....
私本太平記」より 著者:吉川英治
もこんどは、仮でなく、真光寺の内で得度をうけていたのである。 「……はからずも、蓮生坊のこころがわかった」 彼は、道すがら、つぶやいた。遠いむかしの、熊谷蓮生....