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薄田
「薄田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薄田の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
た。 大坂の落城は、もう時間の問題であった。後藤又兵衛、木村|長門《ながと》、
薄田隼人生《すすきだはいとのしょう》ら、名ある大将は、六日の戦いに多くは覚悟の討....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
基次先ず国分の狭隘を扼し大和路より来る東軍を要撃することを提議した。前隊は基次、
薄田兼相、兵数凡そ六千四百。後隊は真田幸村、毛利勝永兵一万二千。五月|朔日、前隊....
「「建設の明暗」の印象」より 著者:宮本百合子
も、その組合の工場で稼ぐことで解決の方向におかれたことが物語られているのである。
薄田研二の久作は、久作という人物の切ない気質をよく描き出して演じていた。無口で、....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
のである。即ちあの新体詩が、反復律の退屈から漸《ようや》く人々に倦かれてきた時、
薄田泣菫《すすきだきゅうきん》その他の詩人が、これに音律の変化と工夫を求めるため....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
りとK氏の待っている室へ入って来た。 「Kさん。あなたさっき門司からの帰りには、
薄田君を訪ねるといってましたね。」 「ええ、訪ねます。何か御用でもおありでしたら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
じょうしょう》の位に登りましてから、上表の文章の中に、『自分には成都に桑八百株|
薄田《はくでん》十五|頃《けい》があるから子孫の生活には困らせない用意は出来てお....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ない節自身を出しているが、高志の進歩的性格は漠然としている。おつぎ山本安英。勘次
薄田。平造本庄。これは勘次が平造のキビの穂を苅って見つかったところ。 大体面白....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
のである。その当時は象徴派、ロマンチック派等が詩壇に起って僕は蒲原有明、上田敏、
薄田泣菫などのものを読んだ。 其頃学校の方では校長岡倉覚三先生がやめさせられ、....
「詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
に、驚きのそよぎを立てていたかも知れないのである。それでも、蒲原氏、ひきつづいて
薄田泣菫さん以下の人々の象徴詩に、相当にわれわれにも理会の出来るものが現れた。そ....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
一日から安藤君の「浦島太郎」、私が「紅葉狩」、安藤君の「音楽カフェー」、四年には
薄田泣菫の「平和の女神」、「兎の春」、「雛祭」、安藤君は
薄田のものをよくやってい....
「二面の箏」より 著者:鈴木鼓村
私は丁度その八月十九日に出発して、当時は京都から故郷なる備中連島へ帰省をしていた
薄田泣菫氏の家を用向あって訪ねたのである、そして、同氏の家に三日ばかり滞在してい....
「猿の図」より 著者:三好十郎
くらいの広さの壕の内部が、こちらから見える。 背広姿の大野卯平と第一装の軍装の
薄田が、室の中央の円卓に向い合ってソファにかけ黙々としてブランディを飲んでいる。....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
れとは、刎頸の友で、共に他日を期している仲。また今、大坂城での錚々たる一方の将、
薄田隼人兼相とは、あの男が、漂泊時代に、共に、諸国をあるいたこともある。大野|修....
「三国志」より 著者:吉川英治
禅へささげた表の中にも、日頃の生活態度を、こう述べている。 ――成都ニ桑百|株、
薄田十五|頃アリ。 子弟ノ衣食、自ラ余饒アリ。臣ニ至リテハ、外ニ任アリ。別ノ調度....