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薪炭
「薪炭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薪炭の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
ら爪先をぬいて一歩一歩本道のほうへ帰って行った。はるか向こうを見ると山から木材や
薪炭を積みおろして来た馬橇がちらほらと動いていて、馬の首につけられた鈴の音がさえ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
た。村民は五木の厳禁を犯さないかぎり、意のままに明山を跋渉して、雑木を伐採したり
薪炭の材料を集めたりすることができた。檜木笠、めんぱ(木製|割籠)、お六櫛、諸種....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、山間わずかの田畑にて、宿内食料は近隣より買い入れ、塩、綿、油等は申すに及ばず、
薪炭等に至るまで残らず他村より買い入れ取り用い候儀につき、至って助成薄く、毎年借....
「春昼」より 著者:泉鏡花
じまり。 そちこち、気長に金子にして、やがて船一|艘、古物を買い込んで、海から
薪炭の荷を廻し、追々材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
う、跣足で土を踏むと養生だと云いますが、旦那が薪を割るのですか」 永「七兵衞さん
薪炭を使わんか、檀家から持って来るが、炭は大分良い炭じゃア、来て見なんせ……此方....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
為に軍を率いて出張したが、途中の宿々《しゅくじゅく》の農民共は、宿も借さなければ
薪炭など与うる便宜をも峻拒《しゅんきょ》した。これ等は伊達政宗の領地で、政宗は裏....
「安吾下田外史」より 著者:坂口安吾
(日本暦では八月五日)のことだ。なぜ下田に上陸したかというと、前にペルリが日本と
薪炭条約を結んだ際、もしも後日両国合意の上領事を置くような場合には下田におくとい....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
服仕立の四十銭だ。(和服仕立は十九銭)。夫婦に子供一人の生活で、米代が一升十銭、
薪炭代一銭、肴代二銭五厘、家賃一銭五厘、石油代五厘、布団損料一銭五厘、最低これだ....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
亭圓朝記 扨申上げまするお話は、鹽原多助一代記と申しまして、本所相生町二丁目で
薪炭を商い、天保の頃まで伝わり、大分盛んで、地面二十四ヶ所も所持して居りました。....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
り出し、酒高価に付はかり切に仕候。入れ物御持参下さるべく候、と記したり。この余、
薪炭紙絹布の類、魚肉野菜に至るまで、日用の物はひとつも下値なるはなし。悉く記する....
「豆腐買い」より 著者:岡本かの子
安普請の西洋館がある。 外国に行く四年前まではこの家は地震で曲ったままの古家で
薪炭を商なっていた。
薪炭商から瓦斯の道具を売る店へ、文化進展の当然の過程だ。だが....
「瘤」より 著者:犬田卯
支出が多く、また、いったい会議費というのはどんな細目のものだろうと見ると、筆墨、
薪炭、用紙、茶、雑などというもので、それは他の項の雑支出と大して違わない細目であ....
「死の接吻」より 著者:小酒井不木
を奏しないで、コレラは遂に大東京に入りこんだのである。いつもならば京橋あたりへ、
薪炭を積んで来る船頭の女房が最初に罹るのであるのに、今度の流行の魁となったのは、....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
る。現にかの八瀬童子の如きは、本来筋の違う山人の子孫であるという事を以て、御所に
薪炭を供給し、駕輿丁にも採用されたので、後の世までも一種変った伝説と風俗とを保持....
「空晴れて」より 著者:小川未明
また、電話をかけることを習いました。まだ田舎にいて、経験がなかったからです。山本
薪炭商の主人は、先生からきいたごとく、さすがに苦労をしてきた人だけあって、はじめ....