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「藤間〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

藤間の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
坊っちゃん」より 著者:夏目漱石
うとたしかに馬鹿に出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点していたが、これは大間違いであった。 いかめしい....
婦系図」より 著者:泉鏡花
も介意わず、水口から木戸を出て、日の光を浴びた状は、踊舞台の潮汲に似て非なりで、藤間が新案の(羊飼。)と云う姿。 お妙は玄関|傍、生垣の前の井戸へ出て、乾いて....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とで相当に繁昌している家でした」 元治元年三月の末であった。その田原屋の二階で藤間光奴という踊りの師匠の大浚いが催された。光奴はもう四十くらいの師匠盛りで、こ....
丹下左膳」より 著者:林不忘
父母《ふぼ》を恋《こ》うる所作事をして見せるんです。 振付けは言わずと知れた、藤間《ふじま》チョビ安。 「むこうの辻のお地蔵さん」で、お美夜ちゃんは首をかしげ....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。 勝久の陸は啻に長唄を稽古したばかりではなく、幼くして琴を山勢氏に学び、踊を藤間ふじに学んだ。陸の踊に使う衣裳小道具は、渋江の家では十二分に取り揃えてあった....
今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
層商人の経済事情が変ったことは日本舞踊の決定的打撃となった。古典的な舞踊の流派は藤間《フジマ》、西川《ニシカワ》、井上《イノウエ》、若柳《ワカヤギ》、花柳《ハナ....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
て、父を慰めながら、住吉の渡船《わたし》をわたって通い、日本橋植木|店《だな》の藤間の家元に踊りをならいなどして、劇作を心がけ、坪内先生によって新舞踊劇にこころ....
大橋須磨子」より 著者:長谷川時雨
族で――子供衆たちの催しではあろうが――大仕掛けなお伽《とぎ》芝居が催されたり、藤間勘十郎《ふじまかんじゅうろう》のお浚《さら》いなどに令嬢の一人舞台で見せられ....
朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
よかったので嬉しかった。 彼女は、近年は殆《ほとん》ど、高橋|元子《もとこ》(藤間勘素娥《ふじまかんそが》)の舞踊|茂登女会《もとめかい》に出演し、作曲してい....
平塚明子(らいてう)」より 著者:長谷川時雨
をかけた色の白い、髪を短くかった方でした。以前からお連添《つれそ》いになっている藤間勘次さんが、藤間静枝の「藤蔭会《とういんかい》」の第一回に出られた時のことで....
地上」より 著者:島田清次郎
多少人間らしい苦労人に見えたのだ。廓の取締である春風楼の主人の後援で、お幸の母は藤間流の踊りの師匠としてこの街でいい地位を固めることが出来たが、そうした因縁から....
三枚続」より 著者:泉鏡花
れと、そこで発心をなすったんだが、なあにもう叩き止めッちまうが可うごす。その足で藤間へいらっしゃりゃ、御自分の方が活きた手本になろうてんで、ええ私の仕返しゃ動か....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
子供以上に発達したのも無理はなかった。 わたしの姉は長唄の稽古以外に、山元町の藤間|大奴という師匠のところへ踊りの稽古に通っていた。わたしは母に連れられてその....
古い暦」より 著者:長谷川時雨
た余丁町のお家では、三味線の音が、よく奥からきこえていたことだ。士行さんも浜町の藤間に通われ、おくにちゃんも、おはるさんも、大造さんも、先生のお家の人はみんな舞....