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藩邸
「藩邸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
藩邸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
もなかった。懐中していた一朱銀を、手金としてその通辞に渡すと、彼は金策のために、
藩邸へ馳《は》せ帰った。 彼が、駆けつけていったのは、家老岡新左衛門の屋敷であ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
屋敷の一件もありますからね」 蛤御門《はまぐりごもん》の事変から江戸にある長州
藩邸はみな取り壊しになったが、去年の八月、麻布|竜土町《りゅうどちょう》の中屋敷....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
若い独り者で、煙草屋といっても店売りをするのではなく、刻み煙草の荷をかついで、諸
藩邸の勤番小屋や中間部屋、あるいは所々の寺々などへ売りに行くのである。彼は関口屋....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
からの人のうわさが桜田門外の変事を伝えた。 刺客およそ十七人、脱藩除籍の願書を
藩邸に投げ込んで永の暇を告げたというから、浪人ではあるが、それらの水戸の侍たちが....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
民保護の一隊とがあるだけだった。西国諸藩の兵士で勤王のために上京するもの、京坂諸
藩邸の使臣で情報を本国にもたらすもの、そんな人たちの通行が日夜に兵庫神戸辺の街道....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
無い。又ずっと後の寛永初年(五年|歟《か》)三月十二日、徳川二代将軍秀忠が政宗の
藩邸に臨んだ時、政宗が自ら饗膳《きょうぜん》を呈した。其時将軍の扈従《こじゅう》....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
それを側より離さなかった。 ある時、土佐の藩主山内容堂から席画を所望せられて、
藩邸へ上った事があった。画がすむと、別室で饗応があった。 席画の出来栄にすっか....
「死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
「折たく柴の記」によると、白石は元禄癸未の年十一月二十二日の夜大地震に逢ったので
藩邸へ伺候した。白石はそのころ湯島に住んでいたが、家のうしろは高い崖になっていた....
「青春論」より 著者:坂口安吾
の後重く用いられて江戸詰の家老になったが、このとき不思議な手柄をあらわした。丁度
藩邸が普請中で、建物は出来たがまだ庭が出来ていなかった。ところが殿様が登城して外....
「池袋の怪」より 著者:岡本綺堂
安政の大地震の翌る年の事で、麻布の某
藩邸に一種の不思議が起った。即ち麻布六本木に西国某藩の上屋敷があって、ここに先殿....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
と共に鶴見の継母も相手になる。順番に炉の前で、複雑な手前をする。 継母もさる支
藩邸の奥向きを勤めて、手もよく書けば歌道も一通り心得ている。継母はこの女を嫌って....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
らん』 と、答えた。 家定の室は、島津斉彬の養女篤姫で、安政三年十一月十一日
藩邸から本丸へ入輿したのであるが、将軍のからだがこんな訳であるから、篤姫一生の心....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
て先生を知りしは安政六年、月日は忘れたり。先生が大阪より江戸に出で、鉄炮洲の中津
藩邸に住われし始めの事にして、先生は廿五歳、予は廿九歳の時なり。先生|咸臨丸米行....
「丸の内」より 著者:高浜虚子
変っておるが、ただ変らぬのは鍛冶橋内、即ち今の東京市庁のあるあたりが土佐と阿波の
藩邸であったことと今の鉄道省の敷地のあたりが細川越中守の邸であったことである。そ....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
に取られたのも無理はない。が、「謹厳」のお化のような先生は尾州人という条、江戸の
藩邸で江戸の御家人化した父の子と生れた江戸ッ子であったのだ。 東片町に住った頃....