藪入り[語句情報] »
藪入り
「藪入り〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
藪入りの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
ち直したが、それも七草《ななくさ》を過ぎる頃からまた陰《くも》った日がつづいて、
藪入り前の十四日にはとうとう細かい雪の花をちらちら見せた。 「今夜も積もるかな」....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、今年で足かけ八年になる。年の割には利巧で、児柄《こがら》もいい。ことしの正月の
藪入りに出て来た時に、となりの足袋屋のおかみさんが彼を見て、徳ちゃんは芝居に出る....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いと聞いていたが、残暑の夜はやはり寝苦しかった。 きょうは盆の十六日、横浜にも
藪入りはあると見えて、朝から往来は賑わっていた。三五郎の来るのを待ちかねて、半七....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かった。ふたりは眼にしみる汗をふきながら両国橋をいそいで渡ると、回向院の近所には
藪入りの小僧らが押し合うように群がっていた。 「ここの閻魔さまは相変らずはやるね....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
御用屋敷を折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸を保っていたが、
藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪まらなくなって脆く....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
に相違ありません。それでも行末をたのしみに、姉も弟も真面目に奉公して、盆と正月の
藪入りにはかならず芳町の家にあつまって、どこへも行かずに一日話し合って帰ることに....
「姥捨」より 著者:太宰治
いないかと、嘉七には、いつもおそろしかった。わけてもその夜は、お店の手代と女中が
藪入りでうろつきまわっているような身なりだったし、ずいぶん人目がはばかられた。売....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
版の悪時代にめぐり合わせて、あの娘さんそのものが大分大した要素もあるらしくて、「
藪入り」なんか最もましな部分の流露です。「今かくことはいくらでもある」「じゃ書く....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
垂れに歌舞伎座、牡丹燈籠などと記してあった。盆興行であるので、十五と十六の両日は
藪入りの観客に牡丹燈籠を画いた団扇を配った。同月二十三日の川開きには、牡丹燈籠二....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
りの青空である。 午後からは、カッと暑くなりそうな、日曜日である。十六、七日の
藪入りを雨に取られたので、そのつぐないをしようとする小店員。リュクサックを肩に、....
「郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
けれども、本質には別の人間的なリリシズムが歌われているのである。即ち蕪村は、その
藪入りの娘に代って、彼の魂の哀切なノスタルジア、亡き母の懐袍《ふところ》に夢を結....
「不在地主」より 著者:小林多喜二
なりトロッコの外側が浮き上る。浮き上った片方の車輪が空廻りした。――健達は五六人
藪入り前を、ここへ稼ぎに来ていた。仕事は危なかった。 それは空知川から水を引い....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
悪源太」――不入の間――新作「上杉謙信」 自作初演の思い出 三人合作の二番目――
藪入り連中を相手の芝居――座附作者の態度――仕切場で執筆――初陣の不覚 晩年の菊....
「澪標」より 著者:外村繁
は奇妙な癖があった。人が――それは道一つ隔てた本家から訪ねて来る祖母であろうと、
藪入りに在所へ帰る女中であろうと――帰る時、「お見送り」をしなければ承知できない....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
今でも三途河の婆様はこわい顔をしながら、子供たちの友人であります。盆の十六日には
藪入りの少年が遊びに来ます。そればかりでなく、もっと小さな子供の為にも、頼まれる....