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「蜀山人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蜀山人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
華になりましたが、昔は随分さびしいところで、竹藪などが沢山にありました。現に太田蜀山人の書いたものをみると、一ツ木の藪から大蛇があらわれて、三つになる子供を呑ん....
傾城買虎之巻」より 著者:直木三十五
ち》だというのである。 「宮城野|信夫《しのぶ》」なる話が全然架空の事実で、大田蜀山人の例の手紙――手紙などは全く偽物であって、暇に任せて拵えたものらしいが、こ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ずして気の利《き》いた状景をとらえたところが眼に見るようである。それに比べると、蜀山人《しょくさんじん》が、松平定信の改革を諷して、 世の中に蚊ほどうるさきも....
妖婆」より 著者:岡本綺堂
われが子供の時代にはその物凄い名に小さい魂をおびやかされたものであった。 大田蜀山人の「一話一言」にもおなじような怪談が伝えられている。天明五年の頃、麹町に十....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
なく、いうところの軟文学者――いうところの俗学者であった。でその方面の友人には、蜀山人だの宿屋飯盛だの、山東京伝だの式亭三馬だのそう云ったような人達があり、また....
」より 著者:岡本綺堂
一 大田蜀山人の「壬戌紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わ....
夢のお七」より 著者:岡本綺堂
一 大田蜀山人の「一話一言」を読んだ人は、そのうちにこういう話のあることを記憶しているで....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
く小春日を選んで、祥雲寺に我ら酒徒の大先輩の墓を展し、礼を捧げたいと考えている。蜀山人の書いた『酒戦記』の事実は、江戸北郊千住宿六丁目に住む中屋六右衛門という人....
濁酒を恋う」より 著者:佐藤垢石
はなれる。その国にさへ一二樽残してもてかへり、富士見となん賞しけるとぞ(下略)。蜀山人の就牘には、 当地は池田伊丹近くて、酒の性猛烈に候。乍去宿酔なし、地酒は....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
、鳥籠などを置いて、薄茶を立てていられました。連れて行った子が指すのを見ますと、蜀山人の小さな戯画の額で、福禄寿の長い頭の頂へ梯子をかけて、「富貴天にありとしい....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
論拠あるべしといへども、春信の歿年は明和七年七月十七日なること、その同時代の人|蜀山人《しょくさんじん》の記録中(『半日閑話』)にも見ゆれば、やや穿鑿に過ぎてか....
葛飾土産」より 著者:永井荷風
侯補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案の定《じょう》、蜀山人《しょくさんじん》の筆で葛羅の井戸のいわれがしるされていた。 これは後に....
里の今昔」より 著者:永井荷風
》にいう。竜泉寺町《りゅうせんじまち》の大音寺もまた遊女の骨を埋めた処で、むかし蜀山人が碑の全文を里言葉でつくった遊女なにがしの墓のある事を故老から聞き伝えて、....
日和下駄」より 著者:永井荷風
の高地があり、正面の行手には目白の山の側面がまた崖をなしている。目白の眺望は既に蜀山人《しょくさんじん》の東豊山《とうほうざん》十五景の狂歌にもある通り昔からの....
向嶋」より 著者:永井荷風
ために穿った溝渠の中、または人家の園池にも蒹葭は萋々《せいせい》と繁茂していた。蜀山人《しょくさんじん》が作にも 金竜山下起金波 〔金竜山下《きんりゅうさん....