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行旅
「行旅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
行旅の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
《いへ》にあれば笥《け》にもる飯《いひ》を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる」とは
行旅の情をうたったばかりではない。我我は常に「ありたい」ものの代りに「あり得る」....
「富士」より 著者:岡本かの子
りしたところで、いつも気を引立てられている勝気にも性の弱い弟は、この秘密で冒険な
行旅を、姉の敢行力の庇《かげ》に在って、共々、行い味われたので、一も二もなく賛成....
「眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
町より一五八|哩二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り早く
行旅の情を催させる。 ここは弥次郎兵衛、喜多八が、とぼとぼと鳥居峠を越すと、日....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、呉猛が殺せし大蛇は、長《たけ》十余丈で道を過ぐる者を、気で吸い取り呑んだので、
行旅《たびびと》断絶した。『博物志』に、天門山に大巌壁あり、直上数千|仭《じん》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
で、五十嵐甲子男が次の如くうなり出しました。 山は平原を擁して駅路長し 即今、
行旅、糧《かて》を齎《もたら》さず 黄花|籬《まがき》に落つ丹楓寺《たんふうじ》....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
りと立ちあらわれた私達である。 が、BUMP! このチャアルス街|空中館、飛
行旅客の待合室へ踏みこんだ刹那、ひとつの正直な反省的|心状が、電波のように私の全....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
長歌の反歌である。 一首は、今出で立つ汝等節度使の任は、まさに大丈夫の行くべき
行旅である。ゆめおろそかに思うな、大丈夫の汝等よ、と宣うので、功をおさめて早く帰....
「文づかい」より 著者:森鴎外
ムルデの河もしばし流れをとどむべく、たちまち迫りて刀槍ひとしく鳴るときは、むかし
行旅をおびやかししこの城の遠祖も百年の夢を破られやせん。あわれ、この少女のこころ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。 ちょうどその日は。 朝から小林太郎左衛門の店と河岸の前には、おびただしい
行旅の荷物やら梱やらが、淀川から廻送され、それをまた、門司ヶ|関へ行く便船に積み....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
ある。ことに、そのいぶせき縁の端は、疲れた足にすがられ、家なき子に夜をしのがせ、
行旅病者の寝床とまでなる。 悪いやつは悪用して、神まします眼の前で、盆莚をしい....
「三国志」より 著者:吉川英治
て、急に本国へお帰りになることになった」 と、虚病を触れて、その夜からにわかに
行旅の支度にかからせた。 ところが。 その混雑中に、孫堅についていた郎党のひ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、しょせん、都附近では、事成りがたしと見て、遠く護送使の列が、備後、美作の山中の
行旅へかかる日、その願望を遂げんとするのではありますまいか」 「む! その手はあ....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
倉帝以後も、歴代、行幸は度々であった。随行の公卿百官から従者まで、数百名にのぼる
行旅がえんえんと京都からこの山岳地まで二十日がかりで来たわけだ。 途中の風雨や....
「野槌の百」より 著者:吉川英治
三五兵衛の愛する八寒嘯の音にそっくりであった。それは、ひとつに静止し得ない人生の
行旅と、人間の感情のように、うらむが如く、哭くがごとく、また、笑うが如く――。 ....