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「衢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

衢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
松江印象記」より 著者:芥川竜之介
いずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街《がいく》の井然《せいぜん》たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かした....
素戔嗚尊」より 著者:芥川竜之介
筋の景色も、幾多の冒険に慣《な》れた素戔嗚には、まるで高天原《たかまがはら》の八《やちまた》のように、今では寸分《すんぶん》の刺戟《しげき》さえない、平凡な往....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
らの者はこの六月の末という暑気に重い甲冑を着て、矢叫、太刀音、陣鐘、太鼓の修羅のに汗を流し血を流して、追いつ返しつしているのであった。政元はそれらの上に念を馳....
運命」より 著者:幸田露伴
んと欲す。 去年は 淮楚に客たりき、 今は往かんとす 浙水の東。 身を竦てゝ 雲に入る、 一錫 游龍の如し。 笠は衝く 霏々の霧、 衣は払ふ ※々の風。 の句....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
》で茶室へも通れまいし、又如何に茶に招かれたにしても直《ただち》に其場より修羅の《ちまた》に踏込もうというのに袴《はかま》肩衣《かたぎぬ》で、其肩衣の鯨も抜い....
茸の舞姫」より 著者:泉鏡花
ここへ顕れたが、坂下に大川一つ、橋を向うへ越すと、山を屏風に繞らした、翠帳紅閨のがある。おなじ時に祭だから、宵から、その軒、格子先を練廻って、ここに時おくれた....
神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
いいか、それは、学者でも、教育家でも、たとえばお寺の坊さんでも、実地に当ると、八に前途が岐れて、道しるべをする事はむずかしい……世の中になったんですね。」 「....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
ている。新堀は見えなくなってその上を電車の通ったのは前々からであるが、震災後|街が段々立派になり、電車線路を隔てた栄久町の側には近代茶房ミナトなどという看板も....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
長なく、邑に首なく、各※封堺を貪りて並に相盗略す。亦山に邪神あり、郊に姦鬼あり、に遮り、径に塞ぎ、多く人を苦しましむ。其の東夷の中蝦夷是れ尤も強し。男女交り居....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
いるのになぜ、人は私に温かい交渉をしてくれないのでしょう。私はキリストが昔「われに立ちて笛ふけども人躍らず、歌えども和せず」となげかれた、かなしき心持ちをしの....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
」も見せられた。かの鶴屋南北の作で、明治以来上場されたことがないという「敵討合法」を、駒之助の合法、九蔵の前田大学と立場の太平次で見せられた。 わたしもずい....
人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
れが伝説化されたものにほかならぬ。景行天皇の詔にも、山に邪神あり、郊に姦鬼あり、を遮り、径に塞がりて、多く人を苦しましむとも、またそれを具体的に述べて、東夷の....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
えられている。同書天慶二年の条に「或記」というものを引いて、 近日東西両京大小路、刻之。 と書いてある。これは他にもしばしば例のある一時の流行神の一つではある....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
、今|勾引すかと思えば、また騙して 堕落させ、果し合い、あちこちへ流離わせ、迷のを どことなく引き廻して歩かせ、一度ならず、 二度も、三度も、四度までも世を乱....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
老元年には、行基の如き高僧すらが、歴門教化をしたり、食物以外の余物を乞うたり、街に罪福を説いたりしたがために、釈教に背き法令を犯すものとして罰せられ、枳林に禁....