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裁許
「裁許〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
裁許の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
治へお咎めのあるとは、実に依怙の御沙汰かと心得ます、左様な依怙の事をなされては御
裁許役とは申されません」 目「黙れ四郎治、不束なれども信樂豊前は目付役であるぞ、....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
守様、水野出羽守様、大久保加賀守様と御評議の上、時の将軍|家齊公へ長二郎の罪科御
裁許を申上げられました。この家齊公と申すは徳川十一代の将軍にて、文恭院様と申す明....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
所の起原は、国初の頃、町中に何か訴訟事がある時に、老職以下諸役人の出席を乞うて、
裁許を願うたのに始ったのである。この当時は、上述のように私人より願うて評定しても....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
ば、外は時々の除目《じもく》または御料所の年貢の催《うなが》し、神社仏閣の昇格の
裁許くらいのものである。しかしてその公家の数も明応二年のころ総計六十七家のみであ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
考えた時、ぴーんと、木の裂ける音が、七瀬の心臓を、どきんとさせた。
七瀬は、
裁許掛見習、仙波八郎太の妻であった。そして斉彬の正室、英姫の侍女でもあった。誠実....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
きに鎌倉へついた新田義貞は、かたのごとく侍所ノ別当へ着到を告げ、同日問注所のある
裁許橋の内へ入った。
裁許橋とは、市人たちの俗称である。 無数の谷や低い山群....