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襄
「襄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
襄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
木島《まきのしま》の十郎、関山《せきやま》の平六《へいろく》、高市《たけち》の多
襄丸《たじょうまる》と、まだこれから、三軒まわらなくっちゃ――おや、そう言えば、....
「藪の中」より 著者:芥川竜之介
うめん》の物語
わたしが搦《から》め取った男でございますか? これは確かに多
襄丸《たじょうまる》と云う、名高い盗人《ぬすびと》でございます。もっともわたしが....
「骨董」より 著者:幸田露伴
そして風雅人鑑賞家として知られた孫七峯とつづき合で、七峯は当時の名士であった楊文
襄、文太史、祝京兆、唐解元、李西涯等と朋友で、七峯のいたところの南山で、正徳十五....
「運命」より 著者:幸田露伴
統の第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。)建文帝の仁柔の性、宋
襄に近きものありというべし。それ燕王は叔父たりと雖も、既に爵を削られて庶人たり、....
「西湖主」より 著者:田中貢太郎
が股を重ねて坐り、その傍に十五六の美しい女がいて、少年の肩をもんでいた。梁は楚の
襄王のような貴人であろうとおもったが、それにしては従者がひどくすくなかった。梁は....
「牛人」より 著者:中島敦
と》を覚えないのは、人柄の相違というものに自信をもっているからであろう。 魯の
襄公《じょうこう》が死んで若い昭公の代となる頃から、叔孫の健康が衰え始めた。丘蕕....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
は幾人の歌妓を載せて来て、ここの浦で顛覆したのであるという。 凶宅 宋の
襄城の李頤、字は景真、後に湘東の太守になった人であるが、その父は妖邪を信じない性....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ち母子はどうなるか判りません」 それから五、六日を過ぎないうちに、王確は酔って
襄という所へ出かけた。帰りには日が暮れて、趙という村まで来かかると、路のまんなか....
「俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
おりとは悲しいことや弱々しいことでは決してない。物の哀れというのも安直な感傷や宋
襄の仁を意味するものでは決してない。これらはそういう自我の主観的な感情の動きをさ....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
活を心頭より忘却しないようにしなければならぬ。 むかし、宋の書家として聞えた蔡
襄が、その友歐陽修のために頼まれて、集古目録の序に筆を揮ったことがあった。その返....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
。之は、日本ラジオとしては確かに括目に値いする現象と云わねばならぬ。民政党の山道
襄一、政友会の安藤正純、昭和会の内田信也、国同の清瀬一郎、社大党の安部磯雄、の諸....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
るが故に国境が無かった。吉田松陰は、これがために生命を投げ出し、福沢諭吉も、新島
襄《にいじまじょう》も、奴隷同様の苦しみを嘗《な》め、沢や、榎本《えのもと》は、....
「岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
――で、翌日|岷山を出た。 3 開元十二年のことであった。 李白は出でて
襄漢に遊んだ。まず南|洞庭に行き、西金陵揚州に至り、さらに汝海に客となった。それ....
「将来の日本」より 著者:新島襄
。ああこれ天下の大勢今すでにここに至れるなり。 明治二十年二月 西京 新島
襄....
「棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
なたは御存知なかったのですか?」 と安井判事の方がもっと驚きました。 「三浦|
襄といえばその方面では有名なもんですよ」 と棚田判事の作曲上のペンネームを安井....