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西南戦争
「西南戦争〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
西南戦争の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
き直って、鼻眼鏡の後に一種の嘲笑の色を浮べながら、こんな事をしゃべり出した。
「
西南戦争ですか。それは面白い。僕も叔父があの時賊軍に加わって、討死をしたから、そ....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
いた。そしてその土地の習慣で、三男の父は一時お寺にはいって坊主になっていた。が、
西南戦争が始まって、初めて青雲の志を抱いて、お寺を逃げ出して上京した。 そして....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ましたのでございます。 それから三年ほどは無事に済みまして、明治十年、御承知の
西南戦争のあった年でございます。その時に父は四十一、わたくしは十七になっておりま....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
るまで、人吉、豊後口、宮崎、延岡、可愛嶽と激烈な転戦はあったが、田原坂の激戦は、
西南戦争の最初にして、しかも最後の勝敗を決したものと云ってよいのである。 この....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
ち、自ら漸新主義の政論者をもって居りたるもののごとし。 功臣分離の時よりもって
西南戦争の年に至るまで、この間の政論をば吾輩仮りに民権論派と名づけたり。この論派....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ある。明治の七年から十年あたりへかけてはこの国も多事で、佐賀の変に、征台の役に、
西南戦争に、政府の支出もおびただしく、鉄道建築のごときはなかなか最初の意気込みど....
「蓄音機」より 著者:寺田寅彦
エジソンの蓄音機の発明が登録されたのは一八七七年でちょうど
西南戦争の年であった。太平洋を隔てて起こったこの二つの出来事にはなんの関係もない....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
に急激なテンポをもって変化した色々の古道具類を幾重にも混沌と積み重ねております。
西南戦争の心と日清戦争の心と日露戦争の心と、徳川時代の心と、大正、昭和の心もとも....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
その手当てをして、その後間もなく癒りました。」 穴 Y君は語る。 明治十年、
西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わた....
「小さな出来事」より 著者:寺田寅彦
。まして祖父を見た事のない、あるいは朧気にしか覚えていない子供等には、会津戦争や
西南戦争時代の昔話は書物で見る古い歴史の断片のようにしか響かないだろう。そしてそ....
「朱欒の花のさく頃」より 著者:杉田久女
であった父は、母と幼い長子とを神戸に残して一足先に鹿児島へ赴任すると間もなくあの
西南戦争で命からがら燃えつつある鹿児島を脱出して、桜島に逃げ民家の床下にかくれて....
「穴」より 著者:岡本綺堂
一 Y君は語る。 明治十年、
西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わた....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
んには、王政維新の後に至りてもまた機会なきにあらず。その機会はすなわち明治十年の
西南戦争なり。当時|薩兵の勢、猛烈なりしは幕末における長州の比にあらず。政府はほ....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
屋も混っています。絵草紙は美しい三枚続きが、割り竹に挿んで掛け並べてありました。
西南戦争などの絵もあったかと思います。役者のもあったのは、芝居町が近かったからで....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
五郎の河童の吉蔵、仲蔵の盲人玄碩、いずれも好評。 ○二月二十三日より新富座にて、
西南戦争を脚色したる「西南雲晴朝東風」の通し狂言を上演。八十余日間打ち通して、古....