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西田幾多郎
「西田幾多郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
西田幾多郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「読書法」より 著者:戸坂潤
っと触れたハイデッガーに連関のあると考えられる弁証法的神学(危機神学)の思想は、
西田幾多郎博士によって自分の哲学体系の相当重大な場所に位置づけられた。西田博士は....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
出ているにも似て、われらに純なる喜びと心強さと、かすかな驚きさえも感じさせるのは
西田幾多郎氏である。 氏は一個のメタフィジシャンとしてわが哲学界に特殊な地位を....
「科学論」より 著者:戸坂潤
以前に書いている。 ** 弁証法を主観と客観との間に於てしか認めない田辺元博士や
西田幾多郎博士の理論は、之にぞくするか又は之に帰着する。前者はその意味に於て、「....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
ス的社会理論の不可欠な基礎概念となっていることは改めて指摘するまでもないだろう。
西田幾多郎博士の「無」の論理も亦、決して一見そう思われるような宗教的神秘的な境地....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
や観念論的弁証法解釈に対する、吾々の態度を覚え書きにして見たものである。読者は、
西田幾多郎博士・田辺元博士・三木清氏等々の、意外にも殆んど同じい一つの性格に落ち....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
合持っている。尤も所謂直観主義者の内の主意説論者(メヌ・ド・ビランやベルグソン、
西田幾多郎博士等)によると、直観こそ最も能動的なものの本質だということになるが、....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
一九三七) 17 「やまと魂」学派の哲学 私はかつて「京都学派」の名の下に、
西田幾多郎・田辺元・両博士の学的性格を指摘した(拙著『現代哲学講話』)。それで以....
「辞典」より 著者:戸坂潤
る意味を有つと考え、従って所謂自然そのものには弁証法を拒否する者もある(田辺元、
西田幾多郎の諸氏)。――併し之に対する反駁は唯物論そのものの主張から行われるべき....
「偶然の産んだ駄洒落」より 著者:九鬼周造
ある人々には旧聞に属するかも知れない。和辻哲郎君がまだ京都にいた頃のことである。
西田幾多郎先生をお誘いして貴船へ遠足してアマゴでも食べようということになった。天....
「三木清を憶う」より 著者:豊島与志雄
科学的辞典の中心執筆者であり、天下の青年知識層を魅了した幾多の書物の著者である。
西田幾多郎氏に師事していただけで、師弟の系譜なく、独自の存在であって、その交友は....
「不良少年とキリスト」より 著者:坂口安吾
なにが、哲学だい。なんでもありゃしないじゃないか。思索ときやがる。 ヘーゲル、
西田幾多郎、なんだい、バカバカしい。六十になっても、人間なんて、不良少年、それだ....
「性格としての空間」より 著者:戸坂潤
り方でまずなければならない。 * 判断作用と判断意識との区別は注目に値いする。
西田幾多郎博士、「取り残されたる意識の問題」参照。併し今一般に、意識の問題に触れ....
「読書遍歴」より 著者:三木清
に入ってから哲学をやることに決めていた。久しく迷っていた私にその決心をさせたのは
西田幾多郎先生の『善の研究』であった。しかしそのことについては他の場所で書いてお....
「西田先生のことども」より 著者:三木清
一 大正六年四月、
西田幾多郎博士は、東京に来られて、哲学会の公開講演会で『種々の世界』という題で、....
「日本の頭脳調べ」より 著者:戸坂潤
値を有っている人間は、文化勲章には適当でないのである。長谷川如是閑氏も駄目なら、
西田幾多郎氏でさえ適切でない。徳富蘇峰氏も一種の言論家である限り困る。思想という....