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親炙
「親炙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
親炙の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
言葉にても、むつかしきものにござれば、われらのごとき、幼少よりオランダ人に朝夕|
親炙《しんしゃ》いたしおる者にても、なかなか会得いたしかねてござる。いわんや、江....
「二つの庭」より 著者:宮本百合子
原語でよむようになっていた。小説のことでは伸子も間接に影響をうけている須田猶吉に
親炙《しんしゃ》して、婦人の作家に珍しく装ったところのない作風を認められていた。....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。田辺太一に啓発せられて英学に志し、中浜万次郎、西吉十郎等を師とし、次で英米人に
親炙し、文久中仏米二国に遊んだ。成善が従学した時は三十三歳になっていた。 成善....
「蓄音機」より 著者:寺田寅彦
止める心理作用があって私の勇気を沮喪させるのであった。そのためにこの文明の利器に
親炙する好機会をみすみす取り逃がしつつ、そんなこだわりなしにおもしろそうに聞いて....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
をのこさねばならぬ」 「いや、どういたしまして、あなた方の超凡なお動静に、朝夕|
親炙《しんしゃ》いたしておれば、宗舟平凡画師も、大家の企て及ばぬ自然の粉本《ふん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
います。なにも寺の人は故意にしているわけではありませんけれど、世の常の人が偉人に
親炙《しんしゃ》していると、つい狎《な》れてその偉大を感じないといったように、こ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
す。 連合いといっても、俗に枕添《まくらぞい》のことではない。吾人は道庵先生に
親炙《しんしゃ》すること多年、まだ先生に糟糠《そうこう》の妻あることを知らない。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
蓄えて置くものですから、急場の間《ま》に合います。これは一つは、与八が道庵先生に
親炙《しんしゃ》している機会に、見よう見まねに習得した賜物《たまもの》と見なけれ....
「京都学校の記」より 著者:福沢諭吉
上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟《てんぴん》をもって朝夕英国の教師に
親炙《しんしゃ》し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴《ぐち》固陋《ころう....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
にもかかわらず容易に揮毫の求めに応じなかった。殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕|
親炙したものの求めにさえ短冊の揮毫は固く拒絶した。何でも短冊は僅か五、六枚ぐらい....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
に恐ろしい人です。他にも尊いラマは沢山あるように承りましたけれども、とにかく私の
親炙して教えを受け殊に敬服したのはこの方であった。これが師匠のガンデン・チー・リ....
「涙香に還れ」より 著者:野村胡堂
るを得ない。 その後私は駆け出しの新聞記者として、晩年の大記者黒岩先生に幾度か
親炙《しんしゃ》し、再びその作物の魅力に引ずられ、三十幾年の長い間、甚だ不熱心|....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
地をひらき得るのであります。私が「埋字」のことなどを申し上げたのもこの古人の句に
親炙する、もっとも卑近な方法の一つを申し上げた次第なのであります。 私はどうで....