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親藩
「親藩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
親藩の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
う》するといったような当時のご時勢でしたから、又者までもがそうであるのに、江戸へ
親藩筋の松平家が宗家の忌みきらう村正を蔵するはふつごう中のふつごうなので、されば....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
、二、三度面会して以来、勤王の志を懐き、ひそかに同志を糾合していた。しかし元来が
親藩であったし、因循姑息の藩士が多かったから、尊王撰夷などに、耳もかそうとはしな....
「運命」より 著者:幸田露伴
今陛下に事うるは天に事うるが如きなり。譬えば大樹を伐るに、先ず附枝を剪るが如し、
親藩既に滅びなば、朝廷孤立し、奸臣志を得んには、社稷危からん。臣|伏して祖訓を覩....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、烈公のような人たちが相続いてその家に生まれた点で。御三家の一つと言われるほどの
親藩でありながら、大義名分を明らかにした点で。『常陸帯』を書き『回天詩史』を書い....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
将士を軍艦で和歌の浦から送り出したのは、前の年の十二月のことに当たる。 幕府の
親藩でもこのとおりだ。水戸はまず疑われ、一橋は排斥せられ、尾州まで手を引いた。あ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
りを武家で占領していたような江戸は、もはや終わりを告げつつあった。この際、徳川の
親藩なぞで至急に江戸を引き払わないものは、違勅の罪に問われるであろう。兵威をも示....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
犠牲を尽さしめた徳川の城。
ここに慶応某の月、今や歴史は繰返して、落日の徳川の
親藩としてのこの名城の重味やいかに。
存在の価値の評価は如何《いかん》。
こ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
目にかけることにする。どうしても、染替えのならぬ旗色のものは別、そうでない限り、
親藩といえども、態度の覚束ないこと、それぞれの志士浪士、皆それぞれの後ろだてをた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
とがあるが、天下素浪人の新撰組に於ては、左様な頓着や遠慮は更にない。大藩であれ、
親藩であれ、斬ろうとするものを斬ることに於て、なんらの忌憚《きたん》を持っていな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
るほどと思召《おぼしめ》さないわけにはゆきません」 「なるほどと思ったってお前、
親藩とはいえ、他領ではないか、どうなるものか」 「しかし、時勢が時勢でございます....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
藩の定宿というのも多くあった。松山藩の如きは別に定宿というのは無かったが、幕府の
親藩に準じたという訳か、外の外様や譜代よりは、海道筋でも何となく勢力があるらしく....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
方に秋田の佐竹、東に米沢の上杉、遠く仙台の伊達に備え、徳川の四天王の一つとして、
親藩たる役目に立たせたのである。だから藩公は武に意を用いた。 釣りを練武の技と....