観心寺[語句情報] » 観心寺

「観心寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

観心寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
に詳しい川崎千虎先生が調べました。先生はこの調査のためにわざわざ河内国へ出張し、観心寺および信貴山、金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑を調べたのです。また....
楠公夫人」より 著者:上村松園
けてみ、楠公夫人のみ姿を心の中で描いてみた。 スケッチがすむと私は夫人ゆかりの観心寺その他を一巡して往時を偲んだ。 もう一年にもなるが、私の楠公夫人はまだ下....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
は、天平の観音のいずれにも見られないような一種|隠微な蠱惑力を印象するのである。観心寺の如意輪観音に密教風の神秘性が遺憾なく現われているとすれば、あの観音に似た....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いうのを領境まで見送っての帰り、馬上、ふウふウ喘いながら戻って来た。 すると、観心寺道から、石見川ぞいに、里の方へ下りて来た四、五人づれの郷武者たちが、 「や....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たといわれております」 「中院(楠木家の菩提寺)の者までもか」 「はい。……いや観心寺の法師らなどは、寺中でおこなわれた激論の座を蹴って、十数名の法師が、笠置へ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
…ム、どこかそこらの峰で一ト息つこうぜ」 ここまでには、もちろん寺元村の木戸、観心寺の柵、下赤坂の陣地など、すでに七、八ヵ所の寄手の軍区域は抜けていた。 そ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、ほか幾ツもの小さい嶂巒や峰が、ふところの襟もとをなしていて、麓からの中津原道、観心寺道、ほか一道の三ツを峡門の口で括ッているのである。 「あのあたりで、鈴ヶ滝....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いいのかしらと思うのです」 「悪いことを、母がさせておくはずはない。あいかわらず観心寺の御坊の許へ通って、勉強はしているのであろうが」 「はい」 「それでいいの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
寺へ納めにおいでられる。――いやそんな御奇特は一再でない。さきにも天野山金剛寺や観心寺やまた久米田寺などへも、同様な納経をしておいでになった。――すべてそれは一....
私本太平記」より 著者:吉川英治
奉公もこれまでと弓矢も思い断っていた。そして河内へ行き、いらい二十二年の長い間、観心寺の片すみに一庵をむすんで、人知れず正成の掃墓をしていた。 これを彼は「尊....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
んな河内紀行だが、もう枚数がない。またの機会に書くとする。ただ同日、小雨の中を、観心寺、赤坂、水分、楠木氏夫人の遺蹟など、多大な労をとって下すった郷土の諸氏に、....