評家[語句情報] »
評家
「評家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
評家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
た事であろう。当時、発表する意志も、発表する機関もなかった自分は、作家と読者と批
評家とを一身に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった。尤《もっと》も、途中で三代....
「文章」より 著者:芥川竜之介
。あのハムレットの性格などは……」
保吉はたちまち大悟《たいご》した。天下に批
評家の充満しているのは必ずしも偶然ではなかったのである。
葬列はとうとう寺の門....
「文放古」より 著者:芥川竜之介
た。――
「芥川龍之介と来た日には大莫迦《おおばか》だわ。」!
わたしはある批
評家の云ったように、わたしの「作家的完成を棒にふるほど懐疑的《かいぎてき》」であ....
「河童」より 著者:芥川竜之介
クラブ》へ遊びにゆきました。超人倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯曲家、批
評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人《しろうと》等です。しかしいずれも超人で....
「彼 第二」より 著者:芥川竜之介
み、もう一度ふだんの彼自身に返った。
「僕はそんなに単純じゃない。詩人、画家、批
評家、新聞記者、……まだある。息子《むすこ》、兄、独身者《どくしんもの》、愛蘭土....
「校正後に」より 著者:芥川竜之介
思っているから。
○ほめられれば作家が必ずよろこぶと思うのは少し虫がいい。
○批
評家が作家に折紙をつけるばかりではない。作家も批
評家へ折紙をつける。しかも作家の....
「毛利先生」より 著者:芥川竜之介
歳晩《さいばん》のある暮方、自分は友人の批
評家と二人で、所謂《いわゆる》腰弁街道《こしべんかいどう》の、裸になった並樹の柳....
「葱」より 著者:芥川竜之介
、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。元来世間の批
評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。
そのお君さん....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
木茂索君の為に」は佐佐木君を貶《けな》したのではありません。佐佐木君を認めない批
評家を嘲《あざけ》ったものであります。こう言うことを広告するのは「文芸春秋」の読....
「或る女」より 著者:有島武郎
せ》の目じりの下がった顔と、その夫人のやせぎすな肩との描く微細な感情の表現を、批
評家のような心で鋭くながめやっていた。かなり広いプロメネード・デッキは田川家の家....
「或る女」より 著者:有島武郎
悲しいというのでもない。多恨な目だ。多情な目でさえあるかもしれない。そう皮肉な批
評家らしく葉子は愛子の目を見て不快に思った。大多数の男はあんな目で見られると、こ....
「想片」より 著者:有島武郎
ない。それゆえ始めの間の論駁《ろんばく》には多くの私の言説の不備な点を指摘する批
評家が多いようだったが、このごろあれを機縁にして自己の見地を発表する論者が多くな....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
具に使役して居るのである。そこにわれ等の図り知られぬ苦心が存する。 人間界の批
評家は、往々霊界通信を以て、霊媒の潜在観念の表現に過ぎないという。それは或る程度....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
に度たび神話的動物を発見していた)一角獣は麒麟に違いなかった。僕は或敵意のある批
評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思い出し、この十字架のかかった屋根裏....
「江口渙氏の事」より 著者:芥川竜之介
云うが、決して唯の鉄のような所謂快男児などの類ではない。 それから江口の頭は批
評家よりも、やはり創作家に出来上っている。議論をしても、論理よりは直観で押して行....