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詢
「詢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
詢の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
しては、まず『白猿伝』を申し上げます。この作者の名は伝わって居りません。唐に欧陽
詢という大学者がありまして、後に渤海男に封ぜられましたが、この人の顔が猿に似てい....
「運命」より 著者:幸田露伴
望|素より隆んにして、一時の倚重するところとなり、政治より学問に及ぶまで、帝の咨
詢を承くること殆ど間無く、翌二年文学博士となる。燕王兵を挙ぐるに及び、日に召され....
「斗南先生」より 著者:中島敦
洒然《せんぜん》トシテ之ヲ敬ス。行クニノゾンデ、継イデ見ンコトヲ約シ、ソノ館舎ヲ
詢《と》ヘバ、豊陽館ナリトイフ。翌日往イテ之ヲ訪ヘバ、則チ已《すで》ニ行ケリ矣。....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
を有難がったものであった。例えば伊藤公が憲法取調のために洋行し、スタイン博士に諮
詢《しじゅん》された以後数年間は、スタインが流行者で、同氏の説だと言えば当時の老....
「魚玄機」より 著者:森鴎外
らぬので、暫く語を交えているうちに傲慢無礼の言をなした。 既にして挙場では、沈
詢が知挙になってから、温を別席に居らせて、隣に空席を置くことになった。詩名はいよ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
次郎が三番町で刺客の刃に命を隕した。抽斎は常にこの人と岡本|况斎とに、国典の事を
詢うことにしていたそうである。次郎は温古堂と号した。保己一の男、四谷寺町に住む忠....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
り。もししからばすなわち張公が言非なるか、因って挙似して以てその所以《ゆえん》を
詢《と》う、僧いう晨を司る鶏は必ず童を以てす。もし天真を壊《やぶ》らば豈《あに》....
「連環記」より 著者:幸田露伴
らるるに至った。蘇州節度使だった時、真宗の賜わった詩に、 践歴 功皆|著しく、諮
詢 務必ず成す。 懿才 曩彦に符し、佳器 時英を貫く。 よく経綸の業を展べ、旋陞....
「教育の民主主義化を要求す」より 著者:与謝野晶子
僚的教育者とに由って支配されている教育です。臨時教育会議というような文部大臣の諮
詢機関が出来て、官民の間から委員が選ばれることもあるようですが、その実際は真の国....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
しめようとした。そこで慶喜は十月十三日、京都二条城に群臣を集め、大政奉還の議を諮
詢した。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して奏聞した。一日置いた....
「学問の独立」より 著者:福沢諭吉
政上に釐毫《りごう》の権力を持たず、あるいは国家の大事にあたりては、大政府より諮
詢《しじゅん》のこともあれども、ただ顧問にとどまるのみ。けだしその然《しか》るゆ....
「銀座」より 著者:永井荷風
と称する浮世の義理は自分にも炎天にフロックコオトをつけさせ帝国ホテルや精養軒や交
詢社《こうじゅんしゃ》の階段を昇降させた。有楽座《ゆうらくざ》帝国劇場歌舞伎座な....
「将来の日本」より 著者:田口卯吉
、余初めて君また文壇の人たるを知る。 今この夏、またこの書を稿し、来たりて余に
詢るに刊行のことをもってす。よってこれに答えて曰く。この文をもってこの挙あり。な....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
の世帯は、いつの間にか家刀自の手を離れ、衣食住の配給においては、彼女らはもはや諮
詢機関にすらもなっていないのである。国民相互の間の分配の正義が、是ほどやかましく....