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誅求
「誅求〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
誅求の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
》の問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上|苛税《かぜい》の
誅求《ちゅうきゅう》を受けるこの辺《へん》の住民は禍《わざわ》いなるかな。天公|....
「三浦右衛門の最後」より 著者:菊池寛
しいような気持もした。しかし織田になっても武田になっても、氏元《うじもと》ほどの
誅求《ちゅうきゅう》はやるまいと皆が高をくくっているので、今川氏の盛衰を思うより....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
美しいのを見て、飛んでもない無心までも云い出すようになった。相手の飽くことのない
誅求には、新兵衛もさすがにもう堪えられなくなって、終には手きびしくそれを拒絶する....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
戦没の様が、詩となり歌となって詠われる。ある者は神にさえ祀られる。だが人民は苛斂
誅求、新しい主人の鞭の下に、営々刻苦しなければならない。……諸侯は乱世の華だとい....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
百姓は、各国の帝国主義に尻押しをされて、絶えまなく小競合を繰りかえす軍閥の苛斂
誅求と、土匪や、敗残兵の掠奪に、いくら耕しても、いくら家畜をみずかっても、自分の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はよんどころなくお鉄と相談して、自分の持ち物などをそっと質入れして、彼の飽くなき
誅求を充たしていたが、それも長くは続きそうもなかった。人の知らない苦労に、主人も....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
の行き兼ねる内容があったのである。それを私は他の機会にも述べたのだが、農民が苛斂
誅求を免れようとか平和を得ようとかいう要求と並んで、北支の赤化を防止せねばならぬ....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
数千人が、日光東照宮法会のため、一村について六両二分ずつの、臨時税を課するという
誅求を怒って、数ヵ月にわたって暴動を起こしたが、この時の蔭の主謀者も、松平冬次郎....
「二都物語」より 著者:佐々木直次郎
す。しかし、青空の下、白日で、そのほんとうの姿で見れば、それは、浪費と、失政と、
誅求と、負債と、抵当と、圧制と、飢餓と、窮乏と、困苦との、崩れかけている塔なので....
「土の中からの話」より 著者:坂口安吾
しているか、戸籍をごまかしているのである。逃亡の理由にも色々とあって、国守の苛斂
誅求をさけるだけなら隣国へ逃げてもよい。こういう逃亡は走り百姓といって中世以降徳....
「淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
。そして、屋根の破風というものがないから、掘立小屋みたいだ。王朝時代、多年|苛斂
誅求に苦しめられた風が残っているためかも知れない。 とにかく私らは、初めての土....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
ったのである。上人の生れた延喜の頃は地方の政治甚だしく紊乱して、人民は国司の収歛
誅求に堪え兼ね、当時生に安んぜずして自ら公民の資格を放棄し、課役を避けて僧となっ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
専横を極め、荘園の名の下に天下の田園を壟断して、国政を顧みず、上に見習う地方官は
誅求を事として、私腹を肥すことのみに汲々とし、下積みになった平民は口分田の班給に....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ャモと沙門」(本誌二巻五号)において簡単に観察しておいたが如く、彼らが国司の収斂
誅求を避けて脱籍した、仮托の沙門(同号一〇頁以下)に起因することのすこぶる多かっ....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
の輩が天下の富を私して、公民その生を安んずること能わず、ことに当時の地方官の収斂
誅求は極度に達して、いやしくも絞り取りうる事の出来るものは、寸毫も余すなしという....