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認識論
「認識論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
認識論の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
名論の唱道する個別的特殊の一種なる民族的特殊性である。この点において、プラトンの
認識論の倒逆的転換が敢えてなされなければならぬ。しからばこの意味の想起《アナムネ....
「相対性原理側面観」より 著者:寺田寅彦
国の事がわからないように、あらゆる非科学ことに形而上学のようなものと対照し、また
認識論というような鏡に照らして批評的に見た上でなければ科学はほんとうには「理解」....
「ルクレチウスと科学」より 著者:寺田寅彦
いにおいて確かめられた。これははたして偶然であろうか。私はここに物理学なるものの
認識論的の意義についてきわめて重要な問題に逢着する。約言すれば物理学その他物理的....
「春六題」より 著者:寺田寅彦
ている人もあるらしい。 特別な数学的素養のない人でも、この理論の根底に横たわる
認識論上の立場の優越を認める事はそう困難とは思われない。かえってむしろ悪く頭のか....
「路傍の草」より 著者:寺田寅彦
い茶目のいたずらとも見られる。しかしまた犯罪心理学者の研究資料にもなれば、科学的
認識論の先生が因果律の講釈をする時の材料にもなりうる。 因果をつなぐかぎの輪は....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
るためにあえてそのままにしておいた。「生命の認識的努力」は幼稚であり、学術的には
認識論の入門にすぎないけれども、その頃の自分にとってはじつに重要なものであり、こ....
「科学論」より 著者:戸坂潤
ftslehre(知識学・其の他)のことではない――や「方法論」やその意味での「
認識論」や「論理学」は、大抵実証に対立するこの種の批判の一つの場合に他ならなかっ....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
きは、形式論理学を要求する権利を有つかのように思われる。 なお、知識学に於て、
認識論に於て、又科学論に於て性格の概念は果すべき多くの理論的使命を担っているかの....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
されるようになったのは新カント学派の努力による――は、こうした一つの立場としての
認識論として登場して来たものである。 併しこの
認識論(夫はとりも直さず批判主義....
「映画芸術と映画」より 著者:戸坂潤
根本問題は、映画という文化史現象や芸術現象等々に関するものとしてよりも先に、まず
認識論的なものでなければならぬと考える。映画の芸術性も認識の様式として初めて、映....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
、科学的認識の発達に貢献する所以を明らかにするためには、その認識の歴史的由来的な
認識論的省察が必要だとか、世界観の検討が要求されるとかいうことも、皆この点に帰着....
「多頭蛇哲学」より 著者:太宰治
ドたちは、またまた図書館通いを始めなければなるまい。まじめに。 全体主義哲学の
認識論に於いて、すぐさま突き当る難関は、その認識確証の様式であろう。何に依って表....
「自然現象の予報」より 著者:寺田寅彦
た一般科学の成立に関する基礎問題に聯関する事は明らかなり。しかし因果律の解釈や、
認識論学者の取扱うごとき問題は、余のここに云為すべき所にあらず。ただ物理学上の立....
「カントと現代の科学」より 著者:戸坂潤
従来の実験物理学の信念と相容れない処であろう。併しカントの精神に従って築かれたる
認識論によれば客観的な関係の厳密な意味での直接な認識はあり得ない。それ故此の変更....
「所謂批評の「科学性」についての考察」より 著者:戸坂潤
ない処からは、何等の科学的批評も導かれ得ない。 もし文芸学というものがみずから
認識論としての建前へ基かねばならぬとすれば(文芸学が
認識論につきるというのではな....