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諏訪湖
「諏訪湖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
諏訪湖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「八十八夜」より 著者:太宰治
のすすきの叢《くさむら》も枯れたままに黒く立って動かず、荒涼悲惨の風景であった。
諏訪湖である。去年の秋に来たときは、も少し明るい印象を受けたのに、信州は、春は駄....
「おさん」より 著者:太宰治
ました。 雨がやんで、夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの
諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。 それから、諏訪の宿から出した夫の手紙....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
言いながら、どこまでもどんどんどんどん追っかけて行きました。そしてとうとう信濃の
諏訪湖のそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そうとしますと、建御名方神....
「怪異考」より 著者:寺田寅彦
寺石氏はこのジャンの意味の転用に関する上記の説の誤謬を指摘している。また終わりに
諏訪湖の神渡りの音響の事を引き、孕のジャンは「何か微妙な地の震動に関したことでは....
「池」より 著者:寺田寅彦
〕 と称するものだそうで、この成因はあまり明らかでないらしい。田中阿歌麿氏著、「
諏訪湖の研究」上編七一六ページにこれに関する記事と、写真がある。数年前の「ローマ....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
鎧に日の丸の旗、諏訪法性の冑をもって、いとも厳重に装われ、厚い石の柩に入れられ、
諏訪湖の底に埋められてあり、諏訪明神がその柩を加護しているということである。 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
一休み。 仏頂寺弥助は鍵屋の辻の荒木又右衛門といったような形で縁台に腰をかけ、
諏訪湖の煮肴《にざかな》を前に置いて、茶の代りに一酌《いっしゃく》を試みている。....
「ある女の生涯」より 著者:島崎藤村
と生甲斐のあることを探したいと心に思っていた。そんなことを遠い夢のように考えて、
諏訪湖の先まで乗って行くうちに、汽車の中で日が暮れた。 おげんは養子の兄に助け....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
今度の風で倒れたのではなくて以前に何かの理由で取払われたものらしく見受けられた。
諏訪湖畔でも山麓に並んだ昔からの村落らしい部分は全く無難のように見えるのに、水辺....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ずにしまった。それからこの峠を下ると諏訪である。温泉もあるが入らずに通った。ただ
諏訪湖の向うに富士のうしろ姿を眺めた景色は今も目に残っている。それから或る駅に泊....
「書簡(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
私の想像よりはずっと大きい体格のように思われました。 それからこの夏八月始めて
諏訪湖畔を汽車で通りました、知人に諏訪の人が数人あるので特に興味があって汽車の窓....
「鵞湖仙人」より 著者:国枝史郎
一 時は春、梅の盛り、所は信州
諏訪湖畔。 そこに一軒の掛茶屋があった。 ヌッと這入って来た武士がある。野袴....
「火の扉」より 著者:岸田国士
らなかつた。 彼女はふと浜島茂のやせ衰えた姿を想像した。 北原ミユキの両親は
諏訪湖の西南にあたるS村に住んでいた。したがつて、彼女はひとり勤めさきのH村で農....
「光は影を」より 著者:岸田国士
。しかし、まつたく変えきれるものかどうか……。 中央線の旅といえば、中学時代に
諏訪湖へ行つたことがあるきりである。まだ若葉というには早い山裾の樹々の芽吹きは、....
「雪の武石峠」より 著者:別所梅之助
は大部すいた。私たちは寛《くつろ》いでこの大景に接していた。八ヶ岳をあとにして、
諏訪湖に添いゆくころから、空はどんよりとして来た。白いものがちらちら落ちそめた。....