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「論功行賞〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

論功行賞の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
小さくなっていると、暫くしてパチパチの音も止んだ。これは近衛兵の一部が西南|役の論功行賞に不平を懐いて、突然暴挙を企てたものと後に判った。 やはり其の年の秋と....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
此の一言には非常に感動したと云う(『惟澄文書』)。その謙抑知るべしだ。 戦後の論功行賞にしてもそうだが、尊氏や義貞に比して、正成は寧ろ軽賞である。それでも黙々....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
るだけに、残《のこ》んの色香《いろか》人を迷わしむるものがあって、浅井亡びた後の論功行賞としては、この美しい後家さんを賜わりたいということに、内心、織田の宿将ど....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
小さくなっていると、暫らくしてパチパチの音も止んだ。これは近衛兵の一部が西南役の論功行賞に不平を懐いて、突然暴挙を企てたものと後に判った。 やはりその年の秋と....
三国志」より 著者:吉川英治
まず久しぶりに参内して、天子に表を捧げ、朝廟の変りない様をも見、つづいて大規模な論功行賞を発表した。また郭嘉の子|郭奕を取り立てなどして、帰来、宰相としての彼は....
三国志」より 著者:吉川英治
ということであった。 かくて呉の国防力にはさらに不落の自信が加えられた。その論功行賞にあたって、戦功第一に推された者は、孫権の甥の孫韶だった。 「果敢、敵地....
私本太平記」より 著者:吉川英治
松円心、千種忠顕、北畠親房、等々、あまたな公卿武士らの殊勲者にたいしては、それの論功行賞も、目前の懸案として、さっそく公布のはこびをつけねばならない。 まさに....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
この時にひらかれました。兵火は、一時やんでも、戦後戦は、なお冷たく戦われている。論功行賞の不平やら、少納言信西入道の独裁振りやら、またなお、わが世の春を夢みる藤....