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講武
「講武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
講武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「自叙伝」より 著者:大杉栄
と同時頃に、高等小学校の坂本先生というのが、主として軍人の間から寄附金を募って、
講武館という柔道の道場を建てた。 軍人の子は大がいそこにはいった。石川もはいっ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
汁粉を食った。銭を払って、前垂れで口を拭いて、逃げるようにこそこそと出て行った。
講武所ふうの髷に結って、黒|木綿の紋付、小倉の馬乗り袴、朱鞘の大小の長いのをぶっ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
して相つづき、その最後の第十七代|松平上野介忠敏こそは、幕末剣客中の尤物で、神田
講武所の師範代を長らく勤め、かの清川八郎なぞと共に、新徴組を組織して、その副隊長....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、鎗持ちの奴、その他の従者を従えた馬上の人が、その広場を横ぎりつつある。にわかに
講武所の創設されたとも聞くころで、旗本、御家人、陪臣、浪人に至るまでもけいこの志....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
東の命をうけた時は皆おどろいて顔色を失い、相顧みて言葉を出すものもない。その時、
講武所生徒の銃隊長と同じ刀鎗隊長とが相談の上、各隊の頭取を集めて演説し、銃隊は先....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の駕籠が雪の昌平橋を無事に渡りきると、棒鼻《ぼうばな》の向きが少し変って、前のは
講武所の方へ向き、同時に駕籠の中から何か声高に言うのが聞えると、それに応じて後ろ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
が、
「宇津木、さあ、これから高山へ行こう。飛騨の高山はあれで、幕府の知行所だ、
講武所の山岡鉄太郎の知行所もある、ちょっと、山国の京都といった面影があって、なか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
べき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじめたのは多分その辺で、その後、幕府が
講武所を開いた趣意書のうちに、旗本の子弟、次男、三男、厄介に至るまで、力《つと》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
寸に出でたものであることは申すまでもない。 横須賀の造船所がしかるのみならず、
講武所も、兵学伝習所も、開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
たかよし》の次男に鉄太郎というものがあって、それが後に山岡姓をついで、当時江戸の
講武所で名うての剣道者となっている。 この飛騨高山が、その人の発祥地とはなつか....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
中で、何か打ち合せしておるのかもしれぬ。そういううちに、戻るであろう」
「おい、
講武所の所長に、男谷《おだに》下総守が選ばれたのを存じておるか?」
「本当か?」....
「死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
旗本五百石の家に産まれた天下の直参筋、剣道には稀有の腕前、是|天禀なりとの評判を
講武所中に轟かした磯貝竜次郎が、まるで掌の内に円め込められて三月の間は玩具の如く....
「三崎町の原」より 著者:岡本綺堂
くこの時の心持であった。 三崎町一、二丁目は早く開けていたが、三丁目は旧幕府の
講武所、大名屋敷、旗本屋敷の跡で、明治の初年から陸軍の練兵場となっていた。それは....
「二階から」より 著者:岡本綺堂
ら汁粉を食った。銭を払って、前垂で口を拭いて、逃げるように狐鼠狐鼠と出て行った。
講武所風の髷に結って、黒木綿の紋附、小倉の馬乗袴、朱鞘の大小の長いのをぶっ込んで....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
く変えて行ってしまうことを思わずにはいられなかった。眼鏡橋を渡ってすぐ入って行く
講武所の細い通りなどは、その時分は賑かなものだったのである。そこに住んでいる人た....