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「講釈場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

講釈場の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
が重っ苦しくって気が鬱いで、なにをする元気もないので、気晴しのために近所の小さい講釈場へ毎日通ったことがありました。今も昔もおなじことで、講釈場の昼席などへ詰め....
縮図」より 著者:徳田秋声
ら、松島の第二の妻の姉に愛され、踊りや長唄を、そのころ愛人の鹿島と一緒に、本郷の講釈場の路次に逼塞し、辛うじて芸で口を凌いでいた、かつての新橋の名妓ぽん太につい....
大阪を歩く」より 著者:直木三十五
、興り得ない物 私の少年時代には、法善寺に一軒、空堀に一軒、天満天神裏に一軒、講釈場があった。だが、いつの間にか、大阪から、講談は無くなってしまった。 「玉川....
茶色っぽい町」より 著者:宮本百合子
に出かけることが多くなった。元、椿山荘《ちんざんそう》のあった前の通りをずっと、講釈場裏の坂へおり、江戸川橋を彼方に渡って山伏町の通りに出る。そして近頃、その通....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことだから、一人で行って見てやれ――という気になりました。 九講釈場へ案内されて行って見ると、かなりの席で、かなりの入りがあります。 大看板....
丹下左膳」より 著者:林不忘
「やっ! 手前《てめえ》はいつかの小僧じゃアねえか。飛んで灯に入る夏の虫――」講釈場《こうしゃくば》仕込みの文句を口に、与吉、つかつかと土間へおりようとすると....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
というのである。一方の講談席は文字通りの講談専門で、江戸時代から明治の初期までは講釈場と呼ばれていたのである。寄席は原則として夜席、すなわち午後六時頃から開演す....
剣侠」より 著者:国枝史郎
勤番武士とか、お上りさんとか、そういう低級の観客の趣味に、巧みに迎合させていた。講釈場もあれば水芸、曲独楽、そんなものの定席もできていた。 曲独楽の定席の前ま....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の通用門で、その脇が一帯に大掃溜であった。その側は折れ曲がって左右とも床見世で、講釈場、芝居小屋などあった。この小屋に粂八なぞが出たものです。娘義太夫、おでんや....
小説 円朝」より 著者:正岡容
でもそれでもまだ足りなくて伝馬町の清松へまで、でかけていった。ここは古くからの講釈場だった。 初代の田辺南龍がでた。 同じく松林亭伯圓《しょうりんていはく....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
戸の中』によれば漱石の幼年時代、貧弱極まるものではあったらしいが、この馬場下には講釈場のあったことすら描かれている。もって、知られよ。 浪江、伯父甥の誓約をさ....
申訳」より 著者:永井荷風
たことを知っているかと問うて見たが、お民は知らないと答えた。広小路に福本亭という講釈場のあった事や、浅草橋手前に以呂波という牛肉屋のあった事などもきいて見たが、....