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「豊島与志雄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

豊島与志雄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
わが半生を語る」より 著者:太宰治
、これは交友というのは失礼かもしれないけれど、お宅に上らせて頂いた方は佐藤先生と豊島与志雄先生です。そうして井伏さんにはとうとう現在の家内を媒酌して頂いた程、親....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
伊藤整「性格の層」(『文芸』三六年七月)――これは何か纏りの悪い感じである――や豊島与志雄「坂田の場合」(『文春』同月)、倫理的なモラル(?)では宇野千代のもの....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
しているので、特別な例外でない限り、文芸家の多くの者はリベラリストに数えられる。豊島与志雄、広津和郎、菊池寛、杉山平助の諸氏は多分最も意識的なリベラリストである....
社会時評」より 著者:戸坂潤
の仇敵のように考えている内田百間氏や、山崎静太郎・佐藤春夫・土屋文明・谷川徹三・豊島与志雄等の人々がその内に這入っていた。尤も学部に関係ある人は学部だけ残ったが....
秋の気魄」より 著者:豊島与志雄
秋の気魄豊島与志雄 秋と云えば、人は直ちに紅葉を連想する。然しながら、紅葉そのものは秋....
明日」より 著者:豊島与志雄
明日豊島与志雄 或る男が、次のようなことを私に打明けた。―― 手紙というものは、....
或る日の対話」より 著者:豊島与志雄
或る日の対話豊島与志雄 過日、あの男に逢った時、私は深い寂寥に沈んでいた。 朝から陰欝に....
新たな世界主義」より 著者:豊島与志雄
新たな世界主義豊島与志雄 戦争は終ったが、平和は到来しなかった。人類が待ち望んでいたような平....
文人囲碁会」より 著者:坂口安吾
文人囲碁会 坂口安吾 先日中央公論の座談会で豊島与志雄さんに会ったら、いきなり、近頃碁を打ってる? これが挨拶であった。四....
私は誰?」より 著者:坂口安吾
するに限るものだ。然し、実際、牧野信一ぐらい居候を大切にし、いたわった人はない。豊島与志雄先生が、そういう点で牧野さんに似ているような気がする。豊島さんは僕に言....
私の碁」より 著者:坂口安吾
半、ゆっくりした気持ちで石を握ったことはないのである。 尤もこの春ひどく疲れて豊島与志雄さんを訪ねて十番碁をやり常先に打ちこまれ、国府津で泥酔して尾崎一雄とや....
日月様」より 著者:坂口安吾
の千谷先生(大捕手)のお許しで後楽園へ見物を許された。後楽園のない日、千駄木町の豊島与志雄先生を訪ねた。豊島さん曰く、 「君、麻薬中毒なんだろう」 「違います。....
豊島与志雄氏の事」より 著者:芥川竜之介
豊島は僕より一年前に仏文を出た先輩だから、親しく話しをするようになったのは、寧ろ最近の事である。僕が始めて豊島与志雄と云う名を知ったのは、一高の校友会雑誌に、「褪紅色の珠」と云う小品が出....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
はやらないね。メスの方がオスの方を食ってしまうそうだね。これも大いに分りますよ。豊島与志雄先生は名題の猫好きで、多くの猫と長年の共同生活であるが、何が一番食いた....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
々行われる文士仲間の碁会にも出席したことがない。昔は私が誰よりも熱心で、その次が豊島与志雄、尾崎一雄両氏であったろう。 文士の碁は勝敗にタンタンとしていてネバ....