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「貝塚〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

貝塚の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
槍が岳に登った記」より 著者:芥川竜之介
で頭の上の遠くに、菱《ひし》の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃《やじり》のような形をしたのが槍《やり》が岳《たけ》で、そ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ときより約二十年後の承応三年ですから、このときはまだもと山王、すなわち半蔵門外の貝塚《かいづか》に鎮座ましましていたのですが、時代は徳川お三代の名君家光公のご時....
日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
二次的影響を及ぼして陸の幸をも支配する因子となっているようである。 先住民族は貝塚を残している。彼らの漁場はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と漁具との....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
小林祐三、ほかに俗事役が三人と、そのころ算術と舎密学《しゃみつがく》に通じていた貝塚道次郎というものが、手伝いに出勤することとなりました。 注文の火薬製造機械....
水鳥亭」より 著者:坂口安吾
浴のあとでは、からだを天日にかわかしたでしょうな。しかし、失礼ですが、石器時代は貝塚とか云って、物をナマで食べていやしませんか。まア我々の食べ物は調味料もなし、....
一枚絵の女」より 著者:国枝史郎
一 ご家人の貝塚三十郎が、また芝山内で悪事をした。 一太刀で仕止めた死骸から、スルスルと胴....
あたまでっかち」より 著者:下村千秋
のまわりには、もちろんずっと大むかしから人がすんでいたのです。いまでも、方々から貝塚がほりだされたり、矢の根石やいろんな石器が発見されたりするのでも、それがわか....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
る。 日本の原住民はアイヌ人だのコロポックル人だのといろいろに云われておるが、貝塚時代の住民はとにかくとして、扶余族が北鮮まで南下して以来、つまり千六七百年ぐ....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
るまず折合ったところで、一円以下ではなかなかケリをつけなかった。当時、溝の側から貝塚まで乗せて三十六銭が相場で、九十銭くれれば高野山まで走る俥夫もざらにいた。 ....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
を荒炭と云い、荒炭和炭の名は既に天平時代の正倉院文書に往々見えている。石器時代の貝塚などからもしばしば木炭が発見せられるが、それは多く和炭らしい。神武天皇御東征....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
手長の社が多い。中にも有名なのは磐城宇多郡(今相馬郡)新地村の手長明神で、これは貝塚と関係のある神らしい。奥羽観蹟聞老志に、 新地村の中に農家あリ狼山に居て好ん....
墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
りもないということであった。 地下工事現場には、大勢の人夫が入り乱れて、福岡の貝塚合名会社地所部とした貨物自動車が、十二、三台、盛んに取り毀した工事場の鉄梁や....
本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
り稍々《やや》放縦に流れる傾きがある云々。 屈葬した石器時代の人骨(備中津雲貝塚) 沖縄の髑髏塚 朝鮮の空葬風景 唐人島首長の墓 沖縄にはまだこの外....
穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
記している。しかるに先年瀬戸内海の海底から化石した牛骨が現われたとか、尾張熱田の貝塚から一本の馬の歯が出たとかで、牛も馬も太古時代から我国に棲んでいたように云わ....
神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
宮地翁の講義などにも出席していた。 明治七年の四月になって河野は大阪から泉州の貝塚へ移り住んだ。その時分から彼の敬神の考は非常に突きつめたものになっていた。宮....