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賀宴
「賀宴〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
賀宴の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
を図するために、筆の使方、顔料の解方などを指図してもらった。それが前年に七十七の
賀宴を両国の万八楼で催したのを名残にして、今年|亡人の数に入ったのである。跡は文....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ども、とても出来ぬ。そこで一夕僅に親族だけを芝浦の某亭(名を忘れた)に案内して小
賀宴を開いた。これも旧藩主久松伯爵家の家令で居る弟の克家が多くの幇助をしてくれた....
「源氏物語」より 著者:紫式部
である。院をはじめとして親王方、高官たちから派手《はで》な産養《うぶやしない》の
賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさら....
「源氏物語」より 著者:紫式部
造営させていた。式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、紫夫人はその
賀宴をしたいと思って仕度《したく》をしているのを見て、源氏もそれはぜひともしなけ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手な
賀宴を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
いるからよいとそれも安心していた。 翌年源氏は四十になるのであったから、四十の
賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。 その秋三十九歳で源氏は準太上天....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ておやめになった。六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの
賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから御心にかけさせられ、世間でも御賀を....
「源氏物語」より 著者:紫式部
木も明日の約されたような力が見えて、杜は霞み渡っていた。 「二月になってからでは
賀宴の仕度で混雑するであろうし、こちらだけですることもその時の下調べのように思わ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
暮らすうちに病気のようになってしまったのですが、お招きがありまして、あの法皇様の
賀宴の試楽の日に伺いました時に、お目にかかったのですが、なお許していただけない御....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
斎に閉じこもっているばかりで、華族同士のツキアイなどに出たこともなく形式的な式や
賀宴にはたいがい叔父や久世喜善が代理ですましているから、ひょッとすると親族代表の....
「三国志」より 著者:吉川英治
を与え、そのまま長安の守りを命じた。 「太平の機運が近づいた」と、なして、朝野は
賀宴を催して祝った。町には、二箇の逆賊の首が七日間さらされていた折も折、征途から....
「三国志」より 著者:吉川英治
おいて、城外へ出て行ったと思うと、やがて敵将馬漢と劉※の首をひッさげて来て、 「
賀宴のおさかなに」と披露した。 一堂の将はみな手をたたいた。馬超もこの中にいた....