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資財
「資財〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
資財の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「猟奇の街」より 著者:佐左木俊郎
彼女はまず自分の赤ん坊のために喜んだ。かつて自分の夫が、彼らは血も涙も持たない
資財の傀儡《かいらい》だ! と罵倒《ばとう》した言葉はまったく反対な作用で彼女に....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
お書きになったら。」 彼女はお愛相を言うのだったが、作家というもの、ことにこの
資財家の友人である庸三なぞの生活が、どんなものだかという見当もつかぬものらしかっ....
「李陵」より 著者:中島敦
《ほくばつ》である。単于《ぜんう》はこの報に接するや、ただちに婦女、老幼、畜群、
資財の類をことごとく余吾水《しょごすい》(ケルレン河)北方の地に移し、自《みずか....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
る。中には銃を持った者もいた。此の支那人ばかりではなく、島に住む外国人は皆自己の
資財を守るに汲々《きゅうきゅう》としている。(チーフ・ジャスティスと政務長官とが....
「黒い地帯」より 著者:佐左木俊郎
、それを資本にして市街地に出た人達が、新しく始めた製造業なり醸造業なりで、相当の
資財を積んだ実例から見てもそれは明らかなことだった。 同時に彼は、小作人と同じ....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
び倒れ伏し、或は焔にまかれて忽ちに死に、或は又僅かに身一つ辛くして遁れたれども、
資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝、さながら灰燼となりにき」と書いてある。火は時....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
る。この林はその在所にいくらか資産のあった者と見え、永正七年近江が乱れた時、その
資財の始末のため、賜暇を得て帰郷したことがある。なお森弥次郎、千世松の両人の三条....
「雪の宿り」より 著者:神西清
余烟を遁れんものとその近辺の卿相雲客、或いは六条の長講堂、或いは土御門の三宝院へ
資財を持運ばれた由が、載せてございますが、いざそれが吾身のことになって見ますれば....
「新疆所感」より 著者:日野強
これを特志者に一任するが如きは、断じて不可なり。よろしく国家の事業として、国庫の
資財をもって、大探検隊を組織するか、もしくは政府の保護をもって、公共団体より調査....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、書紀の仏教渡来年代の誤りというカドによって、この本だの元興寺伽藍縁起併ニ流疏記
資財帳などを読まされますよ。なるほど欽明戊午と書いてあるな。しかし、そういうこと....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
いたので、寛十郎も、金が眼当てで入りこんだものとは思われない。が、すぐ妻の莫大な
資財に気のついた彼は、金が眼当てでおゆうに取り入ったのと同じ結果になった。一空さ....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
その発行に係る法隆寺伽藍諸堂巡拝記などと題する案内記風の小冊子には、天平十九年の
資財帳に和銅四年の作と明記せる中門の力士を以て鳥仏師の作に帰し、またいかなる非再....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
ている。 自分で水葬する補陀洛渡海 天平宝字五年に作られた法隆寺|流記《るき》
資財帳を見るに、補陀洛山浄土画像一鋪と載せてあるから、補陀洛信仰は古く奈良朝から....
「志士と経済」より 著者:服部之総
ほうはい》たる行動期の一特色は、すでに地方産商業家の中から算盤《そろばん》を棄て
資財を抛《なげう》ってみずから諸戦野に出動する者が続々として認められた点にある。....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
戸との三種となる。しかもその家人とは、奴婢の上級なるもので、天平十九年の「法隆寺
資財帳」に、家人何口奴婢何口と区別して列挙し、しかもそれを総称しては奴婢何口と数....