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「赤壁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

赤壁の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
雪中富士登山記」より 著者:小島烏水
に、重々しく平板状に横《よこた》わらないで、垂直に高く突っ立ち上り、我が大火山の赤壁と、両々対立していたが、やがてこの灰色の浮動する壁は、海洋からの温暖なる軟風....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
火器! 捩を捻ると水が出る。が、只の水じゃァねえ。火となって燃える大変な水だあの赤壁の戦で、魏の曹操の水軍を焼討ちにしたのも、此機械だ! さあ切るなら切るがいい....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
てべちゃくちゃお喋りをしておりましたが、ちょうど私たちの前へ運ばれて来たお皿に、赤壁《せきへき》の賦《ふ》の『清風《せいふう》徐《おもむ》ろに吹来つて水波《すい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
めて通ったものでしょう。そこでたまらなく旅路の哀れというものを感じたのでしょう。赤壁《せきへき》の賦《ふ》というのにありますね、渺《びょう》たる蒼海の一粟《いち....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
方には縮れっ毛の二本の糸杉、周囲には紺碧《こんぺき》の空。青色の建物の正面の方へ赤壁の間を上っていってる、急な白い大理石の石段。杏子《あんず》色やシトロン色や仏....
新学期行進曲」より 著者:海野十三
ら、御存知ありませんの、あれは西歴で一六四五年でございますわよ。ほほほほ、じゃあ赤壁の戦は何年でございますの。 父親 知らんよ。 母親 えへん、西歴二〇八年。で....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
させる。私は温泉津の海水浴の時漁船を傭って私たちと沖に漕ぎ出し、扇で舷をたたいて赤壁之賦を口ずさんでいられたこの善良な校長が目に浮んで来る。 まずやさしくあれ....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
《うっそう》として、水戸《みと》家が聘《へい》した朱舜水《しゅしゅんすい》が、小赤壁《しょうせきへき》の名を附したほど、茗渓《めいけい》は幽邃《ゆうすい》の地だ....
地上」より 著者:島田清次郎
」 平一郎はお玉に導かれて狭い階段をのぼると、そこには新しい、床と戸袋のついた赤壁の十畳の一室が開かれていた。床の置物や部屋の造作や重厚な趣味からが黄金を惜し....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
閑人閑語の「オキナのヘコヘコ」という条を見て、思わずほほえみました。貫名海屋の「赤壁賦」を訛ったというのですが、それを読んでまた遠い昔のことを思出しました。 ....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
いう風に引牽して来たのやらそれからして一行も書いてない。水軍の策戦は『三国志』の赤壁をソックリそのままに踏襲したので、里見の天海たる丶大や防禦使の大角まで引っ張....
日和下駄」より 著者:永井荷風
面は崖の中《うち》で最も偉大なものであろう。神田川を限るお茶の水の絶壁は元より小赤壁《しょうせきへき》の名がある位で、崖の最も絵画的なる実例とすべきものである。....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
こで川を離れ東の山中に登ること四里にして非常に険しい赤い岩の下に着いた。いわゆる赤壁巌でこれをチベットではランラと称して居る。そこにまた露宿してその翌日石壁の間....
西航日録」より 著者:井上円了
紀州海岸の風景に髣髴たるところ多し。いたるところ奇石怪巌しかも絶壁千百丈、シナの赤壁も三舎を避くる勢いなり。これに加うるに、北海の高浪巌石を打ち、激して泡となり....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
なはだしからずという。けだし、暖潮を受くるためなり。歩して市外に至れば、諸山みな赤壁のごとく岩石を露出し、断崖千仞なるあり。その間に残雪堆をなすも、山麓には青草....