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足尾
「足尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
足尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「父」より 著者:芥川竜之介
自分が中学の四年生だった時の話である。
その年の秋、日光から
足尾《あしお》へかけて、三泊の修学旅行があった。「午前六時三十分上野停車場前集合....
「日光小品」より 著者:芥川竜之介
高原の、ことに薄曇りのした静寂がなんとなくうれしかった。
工場(以下
足尾所見)
黄色い硫化水素の煙が霧のようにもやもやしている。その中に職工の姿....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
言ってP君が野蛮主義を謳歌するのである。(大正十年六月、渋柿) *
足尾の坑夫のおかみさんたちが、古河男爵夫人に面会を求めるために上京した。 「男爵....
「黴」より 著者:徳田秋声
た森も年々に伐り尽されて、痩せ土には米も熟らないのであった。唯一の得意先であった
足尾の方へ荷物を運ぶ馬も今は何ほども立たなかった。そのなかでその宿だけは格を崩さ....
「転機」より 著者:伊藤野枝
接近した土地で、渡良瀬という利根の支流の沿岸の村なのであるが、その渡良瀬の水源が
足尾の銅山地方にあるので、銅山の鉱毒が渡良瀬川に流れ込んで、沿岸の土地に非常な被....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
島流しに遇ったようだと云ったが、これは左様でげしょう、併し男子山と子持山の間から
足尾庚申山が見える、男子子持の両山の景色などは好いねえ……あゝ子持で思い出したが....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
ら、日清戦役が済んで遼東還附に関する問題が囂しく、また、東北三陸の大海嘯があり、
足尾銅山鉱毒事件があり、文壇では、森鴎外の『めさまし草』、与謝野鉄幹の『東西南北....
「駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
僕たちが非常な苦痛を嘗めて蒔いた種がこのごろようやく芽を出しかけた。北海道にも、
足尾にも、別子にも、長崎にも僕たちの思想は煙のように忍び込んで、労働者も非常な勢....
「香熊」より 著者:佐藤垢石
、海狸の肉に似ていると思った。 穴熊というのは、南総里見八犬伝の犬山道節が野州
足尾の庚申山で化け猫を退治するとき、猫といっしょにとっちめた山の神のことである。....
「わが童心」より 著者:佐藤垢石
倒れる。多分、下野国の耕野を白雨に霑すことであろう。 それから東北に眼を送ると
足尾の連山が、赤城の長い青い裾から、鋸の歯のように抜けだしている。
足尾山は、中宮....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
のも道理のことであります。 しかし、今は栃餅のはなしもなくなりました。その後、
足尾銅山が開けて交通が便利になって以来、栃餅を食うことはやみました。銅山の仕事で....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
聳ヘ、南辺根利村ニ属ス。峻ニシテ登路ナシ。樹木栂椴ヲ生ズ。山脈南方ニ施テハ下野国
足尾山庚申山ニ連リ、東方ハ日光山ニ連ル。 とあるので、サク山の座句山と同一山なる....
「西航日録」より 著者:井上円了
六千四百トン余にして、室内の装飾すこぶる新奇なり。乗客中、日本人二名あり。一人は
足尾鉱山技師飯島工学士、一人は建築美術専門家武田工学士なり。余よって、左のごとき....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
の運動をやるようになった。私は労働運動の方でも、鉱夫組合の運動に興味をもって当時
足尾の鉱山にはよく行ったものである。 学生時代での一番の思い出は、大正十二年五....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
無事演説会が終ってからも、せっかくここまで来たんだからというわけで、わたくしだけ
足尾銅山に足を伸ばした。ところが
足尾についてみると、東京が大変だというのであわて....