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「蹴鞠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蹴鞠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
なかった。 未《ひつじ》の刻(午後二時)をすこし過ぎた頃、比叡《ひえ》の頂上に蹴鞠《けまり》ほどの小さい黒雲が浮かび出した。と思う間もなしに、それが幔幕《まん....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
はまゆみ》の的を競えば、勝利者は必ず彼であった。福井の城下へも京の公卿《くげ》が蹴鞠《けまり》の戯れを伝えて、それが城中にもしばしば行われた時、最も巧みに蹴る者....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
又、若い男の心をも惹きつけたのであった。 奥山にはかの驢馬のほかに、菊川国丸の蹴鞠、淀川富五郎の貝細工などが評判であるので、それらも話の種に見物する予定であっ....
地は饒なり」より 著者:宮本百合子
ら咲き続いた花壇の果は、ズーッと開いて、折々こぼれるような笑声につれて、まあるい蹴鞠《けまり》の音を、彼方の空へ反響させる広場が、心持の悪くないほどの薄さで周囲....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
の薪をひかせたら少しは家の仕末のたしになるでしょう。」 「なるほどね。では、あの蹴鞠は?」 「足さばきがどうのこうのと言って稽古しているようですが、塀を飛び越え....
連環記」より 著者:幸田露伴
棋、営造、音律、何にも彼にも通暁して、茶も此人から蔡嚢へかけて進歩したのであり、蹴鞠にまで通じていたか、其詩が温公詩話と詩話総亀とに見えている。真宗崩じて後、其....
汪士秀」より 著者:田中貢太郎
汪士秀は盧州の人であった。豪傑で力が強く、石舂を持ちあげることができた。親子で蹴鞠がうまかったが、父親は四十あまりの時|銭塘江を渡っていて、舟が沈んで溺れてし....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
を頼り寄付金を集めた者も少なくない。しかしてこの目的に最も好都合なのは、すなわち蹴鞠《けまり》の伝授であった。彼らが地方へ行くと蹴鞠のほかにも、連歌などをやった....
源氏物語」より 著者:紫式部
が、もう皆出て行ったのだろうか」 近侍にこうお聞きになった。大将は東の町の庭で蹴鞠をさせて見ているという報告をお聞きになって、 「乱暴な遊びのようだけれど、見....
ゴルフ随行記」より 著者:寺田寅彦
ピンポン、ビリアードそれから例のコリントゲームまである。日本の昔でも手鞠や打毬や蹴鞠はかなり古いものらしい。 人間ばかりかと思うと、猫などが喜んで紙を丸めたボ....
紅白縮緬組」より 著者:国枝史郎
声を掛けて犬に怒りを起こさせようとする。誘いの隙を見せた時、犬は虚空に五尺余りも蹴鞠のように飛び上がったが、パッと咽喉もとへ飛びかかる。 掛け声も掛けずただ一....
血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
み、地へ下り、染八の面前へまで殺到して来ていた。 「わッ」 染八の肩から、こう蹴鞠の※のような物体が、宙へ飛びあがり、それを追って、深紅の布が一筋、ノシ上がっ....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
さすがに晴れがましいような顔をうつむけた。その昔、なにがしの君が大堰川のほとりで蹴鞠の遊びを催されたときに、見物のうちに眼にとまるような嫋女があった。蔵人に言い....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
は明治の音楽史研究者の余り知らない頗る変梃な秘史である。) 椿岳は諸芸に通じ、蹴鞠の免状までも取った多芸者であった。お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
として、『禁秘御抄』にも名を記されており、なかなか実務的でよく働いたらしく、また蹴鞠には天分があって、後鳥羽院がその方へしばしば御召しになった。定家は五十頃にな....