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「身延〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

身延の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黄村先生言行録」より 著者:太宰治
じぞう》のお祭りがあるのだ。たいへん御利益のある地蔵様だそうで、信濃《しなの》、身延《みのぶ》のほうからも参詣人が昼も夜もひっきりなしにぞろぞろやって来るのだ。....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
誘われまして……」と、石松はもじもじしながら云った。「講中《こうちゅう》と一緒に身延《みのぶ》へ御参詣にまいりました」 「成程ここは法華《ほっけ》だね。身延まい....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
三つであります。題目は真っ先に現わされ、本尊は佐渡に流されて現わし、戒壇のことは身延でちょっと言われたが、時がまだ来ていない、時を待つべきであると言って亡くなら....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
鳴った。だが、姿はない。 どこでなるか、ちらとの影もないのです。見えない程にも身延のお山につづく街道は、谷も霧、杜も霧、目路の限り夢色にぼうッとぼかされて只い....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
けて丁度十三里――まさかと思ったのに、およそ退屈男程気まぐれな風来坊も稀でした。身延から江尻の港へふらふらと降りて見たところ、三十五反の真帆張りあげた奥地通いの....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
七兵衛より後にもならず先にもならず、ほとんど相並んで歩いて来たが、ほら村へ出ると身延道《みのぶみち》。 「旦那、私はここで失礼を致しますよ、はい、身延へ参詣に参....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
処は、やすものの、探偵小説の挿画に似て、われながら、浅ましく、情ない。 「南無、身延様――三百六十三段。南無身延様、三百六十四段、南無身延様、三百六十五段……」....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
ったのを、日蓮は祈願をこめてこれを癒した。日蓮はいたって孝心深かった。それは後に身延隠棲のところでも書くが、その至情はそくそくとしてわれわれを感動させるものがあ....
人生における離合について」より 著者:倉田百三
あったが、日蓮が法華経に起ったとき、怒って破門した。後に道善房が死んだとき日蓮は身延山にいたが、深く悲しみ、弟子日向をつかわして厚く菩提を葬わしめた。小湊の誕生....
剣侠」より 著者:国枝史郎
「賭場をひらくとは怪しからんではないか」 「などと仰せられても福島の賭場、甲州|身延山御会式賭場と一緒に、日本における二大賭場と申し天下御免なのでございますよ」....
香魚の讃」より 著者:佐藤垢石
富士川|下りの三十里、舟中我が臍の在りかを確と知る人は、ほんとうにまれであろう。身延の駅を中心として下流が大島河原、上流が波高島である。ここが鮎釣りの本場であっ....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
たことがある。 富士川本流の、鮎の友釣りは豪快である。私はその中心地|波高島と身延へは、年に四、五回も行って幾日も滞在する。これから後は、一層精出して行こうと....
五重塔」より 著者:幸田露伴
ばそのころの三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那の三行....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
屠者子の子なることには、閉口して争わなかったと云い、同書また日蓮の「秋元書」に、身延退隠の事を述べて、「木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし」とあるのを....
春の大方山」より 著者:木暮理太郎
旅の興も加わることと思ったので、此方面から入ることにしたのであった。 富士駅で身延線に乗換え、翌日の午前五時少し過ぎに大宮町に着いた。先発の松本君に迎えられて....