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「車駕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

車駕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
の煬帝《ようだい》、父を弑し継母を強姦し、しかして仏教を尊信することはなはだし。車駕一たび出で還らず、身凶刃に斃る。後世、仏者曲説保護せんとするも、その弁を得ず....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
中に入り、主上を奉迎して幕府に行幸を願った。倉卒の際とて、儀仗を整える暇もなく、車駕幕府に入らんとした。所が近士の侍の間にもめ事があって、夜に至るまで幕府の門が....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
上において叡覧に備わらんことを欲し、みだりに供奉の乗車と誤認し、投進せしに、御の車駕に触る。右は衝突|儀仗の条をもって論じ、情を酌量して五等を減じ、懲役五十日の....
西湖主」より 著者:田中貢太郎
を解いて食物を分けてくれて、そして注意した。 「遠くの方へさけなくちゃいけない、車駕を犯すと死刑になるからな」 陳は懼れて従僕を伴れて山を走りおりた。山の麓の....
十二支考」より 著者:南方熊楠
デシャの王エースウルチュンズルは、猴を婚するに十万ルピイを費やし、盛装せる乗馬、車駕、駝象の大行列中に雄猴を維《つな》いで輿《こし》に載せ、頭に冠を戴かせ、輿側....
成仙」より 著者:田中貢太郎
子が御猟にいかれるという噂が伝わって来た。成は木市の材木の中に隠れていて、天子の車駕の通り過ぎるのを待ちうけ直訴した。 成の直訴はおとりあげになって、車駕を犯....
荘子」より 著者:岡本かの子
連衡の気運が盛になって来た。従って人も変りつつあった。六国の相印を一人の身に帯び車駕の数は王者を凌ぐと称せられて居た合従の策士蘇秦は日に日に落魄の運命に陥り新に....
噴水物語」より 著者:岡本かの子
した岩組が、簾の滝のように水で充ちている。その上にトリトンに牽かして行く貝殻型の車駕に御して海神が嘯いている。夏の真昼、水の落ち口の池の角のところに佇って、あの....
三国志」より 著者:吉川英治
たか、董卓は二言もなく、あわてて馬からとびおりて、道のかたわらに退き、謹んで帝の車駕を拝した。 陳留王は、それを見ると、帝に代って、 「大儀であった」 と、....
三国志」より 著者:吉川英治
へ高札を立て、なおそれぞれ役人から触れさせましたから、洛内の人民どもも、おそらく車駕について大部分は長安へ流れてきましょう」 「いや、それは貧乏人だけだ。富貴な....
三国志」より 著者:吉川英治
も、病人はいるし、足弱な女も多く、幼を負い、老を扶け、おまけに家財をたずさえて、車駕担輿など雑然と続いて行く始末なので道はようやく一日に十里(支那里)も進めば関....
三国志」より 著者:吉川英治
りぬれば――とあって、諸州の大将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、※城の春は車駕金鞍に埋められた。 そもそも、この※河のながれに臨む楼台を「銅雀台」と名づ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
がて二人の姿が帰って行った先は、北ノ六波羅の一|郭だった。 むかしは平家一門の車駕が軒なみの甍に映えた繁昌のあとである。平家亡んで、源ノ頼朝、実朝の幕府下にあ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、思いやらるるものがある。 その重くるしい宮門には、やがて、ひきもきらぬ公卿の車駕が、参内していた。宮中奥ふかき所の昼夜、どんな協議が行われたのか。――すでに....
山の人生」より 著者:柳田国男
の御大典の時は、諸国から出てきた拝観人で、街道も宿屋も一杯になった。十一月七日の車駕御到着の日などは、雲もない青空に日がよく照って、御苑も大通りも早天から、人を....