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「軍監〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

軍監の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
堺事件」より 著者:森鴎外
れたので、大目附杉紀平太、目附|生駒静次等が入り込んで大通|櫛屋町の元総会所に、軍監府を置いた。軍監府では河内、大和辺から、旧幕府の役人の隠れていたのを、七十三....
続獄中記」より 著者:大杉栄
って歩かせる、という徴罰のあることは、かねて聞いていた。かつて幼年学校時代に、陸軍監獄の参観に行って、そのダの実物を見たこともあった。しかし、それともう一つの、....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いりやまず》村へかけての固めを言付かり、私の父もその頃側役から目付に転じていて、軍監をも兼ねるという枢要な地位に居たので、その固めの場所へも勤務した。なんでも大....
三国志」より 著者:吉川英治
頃、貴公がわしの陣を去って、潁川のほうへ立ってから間もなく、勅使左豊という者が、軍監として戦況の検分に来たが、世事に疎いわしは、陣中であるし、天子の使いとして、....
三国志」より 著者:吉川英治
ましょうや」 その説は、自分の志望と合致したので、曹操はたちどころに決心して、軍監、参謀、各司令、糧食、輸送などの各司令を一堂によび集め、 「兵二十万をととの....
三国志」より 著者:吉川英治
そういった。 そこへ腹心の馬岱が、一箇の首級をもたらして来た。すなわち漢中軍の軍監|楊柏の首だった。 「以て、それがしの心証としてごらんください」 馬超はそ....
三国志」より 著者:吉川英治
孔明は思わず手の羽扇を床へ取り落して云った。 「ああそれこそ、さきに魏廷から軍監として下った辛毘佐治にちがいない。……それほどまで厳に戦うを戒めておるか」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
こともないので?」 「いや、白状するがの。ついこの間、陣の余暇をうかがい、鎌倉の軍監佐々木道誉という資格でなく、個人として、そっと微行で、小右京の隠れ家を見舞う....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の時、伝令の大声が、三ノ橋からここの床几へ触れ渡していた。 「お目付の巡回です。軍監の佐々木殿が通られます……」 道誉の巡視隊は、れいの黄母衣組十二騎以下、歩....
私本太平記」より 著者:吉川英治
鎌倉口まで先陣をつづけたが、しかしその道誉には、上野と仁木の二部隊が付いていた。軍監として、彼を督戦していたのである。 とまれ、鎌倉はまた、足利方の下に回った....
私本太平記」より 著者:吉川英治
もなかった。菊池武吉などと共に新田の手から配されていた客将だった者である。つまり軍監の一将だ。だからいやなら観望しているも自由であり、義貞と共に退いても人に笑わ....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
しい。養子の伊織が家老として禄仕している関係もあり、島原出兵の時には、小笠原家の軍監として、従軍もしている彼だった。 その武蔵は、寛永十七年、齢五十七歳のとき....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
いする頼朝の信寵の現われであったといってよい。 けれどこの“気に入られ者”が、軍監として上洛軍に付いていたことは、やがて致命的な不幸を義経に運命づけたものだっ....