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軍記
「軍記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
軍記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
そられていたころであったが、木部は二十五という若い齢《とし》で、ある大新聞社の従
軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
にひそかに憧れていたのだ。 「君等は軍人になって戦争に出たまえ。その時には僕は従
軍記者になって行こう。そして戦地でまた会おう。」 僕は軍人生活がいやになった時....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
るくらいのことでした。ところが、ある日の高座で前講のなんとかいう若い講釈師が朝鮮
軍記の碧蹄館の戦いを読んだのです。 明の大軍三十万騎が李如松を大将軍として碧蹄....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
の一は、明治三十七年の九月八日か九日の夜とおぼえている。わたしは東京日日新聞の従
軍記者として満洲の戦地にあって、遼陽陥落の後、半月ほどは南門外の迎陽子という村落....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
たので、誰が来たのかと表をのぞいて見ると、ひとりの男が戸の外に立っていた。 「従
軍記者諸君はおいでですか。」 「はあ。」と、僕は答えた。「わたしです。」 それ....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
さしもに雄る武田の勇将猛士も恐怖の色を顕し諸軍浮足立つてぞ見えたりける」(『甲陽
軍記』) 謙信は、一万三千の内旭山城に五千を残したから、精兵八千で、人数は同じ....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
落されたのは間も無くである。 当時東京日日の新聞社長であった福地源一郎氏が、従
軍記者として、田原坂戦闘の模様を通信して居るのがある。その中に田原坂の要害を報じ....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
記 太閣記 川角太閣記 豊鑑 豊臣記 蒲生氏郷記 佐久間
軍記 清正記 脇坂家伝記 並に 近世日本国民史 豊臣時代史 日本戦史 柳瀬役....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
より内侍所の燈火を望み得たとは、有名な話である。 畏れ多い限りではあるが『慶長
軍記抄』に依れば「万乗の天子も些少の銭貨にかへて宸筆を売らせ給ひ、銀紙に百人一首....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
で……刃尖が爪先を切ろうとしている。 戦は、銑吉が勝らしい。由来いかなる戦史、
軍記にも、薙刀を倒についた方は負である。同時に、その刃尖が肉を削り、鮮血が踵を染....
「余裕のことなど」より 著者:伊丹万作
り、合戦の最中にもののあわれが出てきたりしても少しもおかしくないのだ。 多くの
軍記合戦の類を通じて我々の父祖たちがいかに堂々と討ちつ討たれつしたか、いかに悠揚....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
陋を極めている。一体馬琴は史筆|椽大を以て称されているが、やはり大まかな荒っぽい
軍記物よりは情緒細やかな人情物に長じておる。線の太い歴史物よりは『南柯夢』や『旬....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
入りの史劇――筒袖に陣羽織――劇評は激評 朝鮮公使の抗議 日本演芸協会――「太閤
軍記朝鮮巻」――忠勇の征東使――作者部屋の給料――「平野次郎」の脚本料 明治二十....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
発企にて、来朝中の米国前大統領グラント氏を新富座に招待し、新作の史劇「後三年奥州
軍記」と芸妓の手踊を演ず。 ○久松町の喜昇座は、改築と共に久松座と改称して大歌舞....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
て咄し家が立ち、『太平記』や『明徳記』や『大内義弘退治記』(応永記)のような講釈
軍記の台本が書かれている。大和の春日神社に奉仕していた大和|猿楽師の中、観世座の....