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「転封〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

転封の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
判型の書簡紙に二枚ほどのものでしたが、認め終ると、その上に金粉を撒いて、さらに廻転封輪で捺しました。たぶん貴方は、あの方がいっさいを旧制度的に扱うのを――つまり....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
分らないと思う。 大阪冬の陣の媾和には、初め家康から、一、浪人赦免、二、秀頼|転封の二条件を提議し、大阪方からは、一、淀君質として東下、二、諸浪人に俸禄を給す....
小田原陣」より 著者:菊池寛
如く城門に迫って行ったとあるから、兎に角強いものである。小田原陣直後奥州の辺土へ転封され、百万石の知行にあきたらず、たとえ二十万石でも都近くにあらばと、涙を呑ん....
石狩川」より 著者:本庄陸男
である。没収を宣言された彼らの土地や家屋には主《あるじ》は無い筈であった。そして転封された南部藩士の所有に帰していた。しかし、昨日までのあるじはいたのだ。それら....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
仔細あって、ここの片原五万四千石、――遠僻の荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封され、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸が....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
かつてもいった、加藤嘉明がこの城を築いて本丸やその周園の櫓等が出来た頃に、会津へ転封されて、その後を蒲生家が貰ったので、まだ出来てない二の丸を造った。この蒲生家....
南国太平記」より 著者:直木三十五
ると、いよいよ、島津の内訌《ないこう》は、天下に知れ渡って、これがためのみでも、転封されるかも知れん。それよりも、今暫く――機をみて、お前に、譲ろうと思うが――....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
敵討、その起因は当国で御座った。それやこれやで、鳥取の池田家と、岡山の池田家と御転封に相成り、少将様こちらの御城に御移りから、家中に文武の道を励まされ、諸民に勤....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
厩橋というのは、前橋の旧名である。 厩橋城は、慶長六年酒井重忠が、武州川越から転封された後、忠世、忠行、忠清、忠挙、忠相、親愛、親本の六世をへて、忠恭に至るま....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
鶴岡の城主最上源五郎義俊が御家騒動のために取り潰されたあとへ、信州松代十万石から転封されたのである。最上家は承平の頃から名家で、斯波兼頼の子孫に当たっているため....
加波山」より 著者:服部之総
族河野氏の裔《すえ》が加藤嘉明《かとうよしあき》に仕え、嘉明が伊予松山から会津に転封され、嘉明の子明成が徳川からつぶされるや、土着して「東北の豪族」となった。日....
三国志」より 著者:吉川英治
や、火急に召状を発せられては、かならず異変を生じましょう。まず両名を一郡の太守に転封し、後、緩々お計り遊ばすがよいかと思います」と、諫めた。叛乱の動機は、つねに....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
それ以前から、上野介は、本家の足利家が、あまりに微禄なのを見かねて、足利家の転封を、時の幕府に内々運動中であった。そしてほぼ成功の緒についたところを、彼の横....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
、その庭園は今もなお当時の林泉のままだという。秋元家は譜代の大名として、たびたび転封の経験を有し、この山形では明和四年に武州川越から移ってより、弘化二年上州館林....