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「辻説法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

辻説法の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
狂言の神」より 著者:太宰治
いた。黄昏《たそがれ》の巷《ちまた》、風を切って歩いた。路傍のほの白き日蓮上人、辻説法跡の塚が、ひゅっと私の視野に飛び込み、時われに利あらずという思いもつかぬ荒....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
失望した。三十七年には日露戦争が始まった。その四月に歌舞伎座で森鴎外博士の「日蓮辻説法」が上場された。恐らくそれは舎弟の三木竹二君の斡旋に因るものであろうが、劇....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
予行をしている。ろしあの持つ文化と誇示と壮麗と野望を支えて、ここから人類へ一つの辻説法を話しかけようとしているのがこの赤色広場だ。世界のあらゆる隅々からあこがれ....
魔像」より 著者:林不忘
れからあの、いつかの晩のヒョンな髪引きが縁になって、腕貸しの約束をして下すった、辻説法の釣魚狂《つりきちが》い、無宿《むしゅく》の心学者《しんがくしゃ》魚心堂先....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
めるというのも、一人の女に職業を与えるためというよりは、救世の大本願を抱く大聖が辻説法の道場を建てると同じような重大な意味があった。 が、その女は何者である乎....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
伎凋落――団菊の歿後 日露戦争前後 左団次の衰老――新派劇全盛――「桐一葉」と「辻説法」――遼陽の秋――洪水の難をまぬかる ことしは五代目菊五郎の三十三回忌追....
久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
て舞台装置をなすったのは、明治三十七年の四月に歌舞伎座で、森鴎外博士の『日蓮上人辻説法』というものを上演しました。その時分に御父さんの米僊先生がまだ御達者で、衣....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
伎座にて戦争劇「艦隊誉夜襲」を上演して不評。それと同時に、森鴎外博士作「日蓮聖人辻説法」を上演して、好評。 ○五月、明治座にても一種の戦争劇たる「敵国降伏」を上....