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追腹
「追腹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
追腹の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
は、君前で頭巾《ずきん》をかむったまま安座することを免《ゆる》されていた。当代に
追腹《おいばら》を願っても許されぬので、六月十九日に小脇差《こわきざし》を腹に突....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
黒くゆらいでいた。庭で銀杏の散るおとが又きこえた。 「千之丞殿の伯父御は先殿様の
追腹を切られたとかいいますが、それはほんとうのことですか」と、澹山は思い出したよ....
「寺坂吉右衛門の逃亡」より 著者:直木三十五
右衛門、短慮を起すでないぞ。この上は諸士の後生を、よく弔うのが、何よりの務じゃ。
追腹《おいばら》切ろうより、何をしようより、弔って上げなさい。他人の百遍の念仏よ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
膳も、馬場右衛門という人も遂に殉死して終った。殉死の是非は別として、不忠の心から
追腹は切られぬ。大膳の殉死は輝宗に対する忠誠に出でたのだ。ところが殉死を忌嫌う政....
「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」という返事しか忠利の喉を出て来ないのである。
追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
上席二人の者が髷を切って、髪を垂らしていたことである。これは徳川の初め頃であれば
追腹《おいばら》をすべき者であるが、それは禁制になっているので髷を切って、君侯の....
「稚子法師」より 著者:国枝史郎
もので、征矢野孫兵衛、村上右門、知遇を受けた此両人などは、当時の国禁を窃に破って
追腹を切った程である。 で、私の物語ろうとする『稚子法師』の怪異譚は即ち蘇門病....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
の如くに集って見物した。落首の中に「比類なき名をば雲井に揚げおきつやごゑを掛けて
追腹を切る」と云うのがあった。 興津家の系図は大略左の通りである。 弥五右衛....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
具である。今まで青山の奴と世間に謳われた身が、今更他家の飼犬にもなれない。自分は
追腹を切って冥途のお供をすると立派にいい切った。十太夫は一切の役目を終った上で、....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
の辺りに身を忍ばせていたが、秀頼その他の確実に陣亡されたのを知るに及んで、今更|
追腹も気乗がせず、諸国を医者に化けて廻っているうちに、相模の三増峠の頂上に於て行....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
|逝去の趣を伝え聞くや、大坂に在った武蔵を訪うて私に永別の盃を汲み、姫路に下って
追腹を切って果てたのである。 なお、この時、武蔵は必ず造酒之助が暇乞いに来たる....