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追記
「追記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
追記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
時には蒼《あお》ざめた薔薇《ばら》の花に寂しい頬笑《ほほえ》みを浮べている。……
追記 不道徳とは過度の異名である。
仏陀
悉達多《しったるた》は王城....
「虚構の春」より 著者:太宰治
に、いい、といわれたばかりに、どこへでも持って歩いていたのです。『新ロマン派』で
追記風にある同人雑誌(名だかくない)のある人をほめていたことばを見て、ねたましく....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
異国の夢が醒めないのではないかと、時どきに自分を疑うことがある。(大正十二年十月
追記『十番随筆』所収) 旅すずり 川越の喜多院に桜を観る。ひとえはもう盛りを過....
「もの思う葦」より 著者:太宰治
にして置きたまえ。作家はその伝記の中で、どのような三面記事をも作ってはいけない。
追記。文芸冊子「散文」十月号所載山岸外史の「デカダン論」は細心|鏤刻の文章にして....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
めぐって来そうに思われてしかたがない。(大正十二年七月、渋柿) (『柿の種』への
追記) 大正十二年七月一日発行の「渋柿」にこれが掲載されてから、ちょうど二か月後....
「自由画稿」より 著者:寺田寅彦
なれば日本でも灸治研究が流行をきたすかもしれないと思われる。 (「螢光板」への
追記) 前項「灸治」について高松《たかまつ》高等商業学校の大泉行雄《おおいずみゆ....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
三年丁卯四月十一日 河上源介」 この控には、「四月二十七日被下被差免候」との
追記がある。 叔母には子が出来なかった。そして、どういう事情からであったか、明....
「重兵衛さんの一家」より 著者:寺田寅彦
になるかもしれないと思うのである。(昭和八年一月『婦人公論』) (『蒸発皿』への
追記)この記事が縁となって、重兵衛さんの次男の亀さんからの消息に接することが出来....
「浅間山麓より」より 著者:寺田寅彦
は山から下りて来るという代りに、秋は空中から降りて来るともいわれるであろう。 (
追記) 本文中に峰の茶屋への途中、地表から約一メートルに黒土の薄層があって、その....
「ランス紀行」より 著者:岡本綺堂
の夢が醒めないのではないかと、ときどきに自分を疑うことがある。(大正十二年十月、
追記) (大正八年)....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
がまるで冒涜のようにふり返られたのである。 大体以上が美術学校時代である。 (
追記、長沼守敬先生は今年七月十八日房州館山町で長逝せられた。享年八十六。) (談話筆記)....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
を一旦脱稿した後になりて、それに気がついて軽率にも年代の推歩を二重に誤り、これを
追記したと見るべき程の杜撰なものであってみれば、これを以て日本紀の記事を訂正せん....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
を賜わらんことを。特に蝦夷の子孫に関するものは、最も歓迎するところであります。(
追記)....
「回顧と展望」より 著者:高木貞治
与を提供するであろうことを,予は切に希望するものである. (昭和17年1月10日
追記)....
「黒板は何処から来たのか」より 著者:小倉金之助
係っているのである。 (一九四七年五月三日稿同年「別冊文芸春秋」一〇月号) *〔
追記〕デヴィースの業績とその日本訳については、『数学教育史』(岩波書店)に詳しい....