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「退隠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

退隠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
浜菊」より 著者:伊藤左千夫
の御考えに大賛成だ。 こんな調子で余は岡村に、君の資格を以《もっ》てして今から退隠的態度をとるは、余りに勇気に乏しく、資格ある人士の義務から考えても、自家将来....
行人」より 著者:夏目漱石
今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。 ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
と云う。その頃から、父子の間不和で、後天文十年父信虎を、姉婿なる今川義元の駿河に退隠せしめて、甲斐一国の領主となる。時に年二十一歳。 若い時は、文学青年で詩文....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
られていた証左としてここに附記しておく。 これより前、弘化三年三月、父正武氏の退隠により利春氏が家督を相続した。時に利春三十歳。翌弘化四年、三十一歳の時に父を....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
い。 後にゆるされて帰りまして、所々の知州などを勤めた末に、端明殿学士となって退隠しました。死して文敏と諡されて居ります。その著書や随筆は頗る多いのですが、一....
蒸発皿」より 著者:寺田寅彦
のである。 三 げじげじとしらみ 父は満五十歳で官職を辞して郷里に退隠した。自分の九歳の春であったと思う。その九歳の自分が「おとうさんはげじげじだ....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
な訴えのこころが含まれていた。そのときこの人懐しさのほかにもっと強く正面から私の退隠生活を破る原因となったのはドストエフスキーと聖フランシスとであった。ドストエ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
たから旁《かたがた》、世子は上京せられることになった。そこで幕府はいよいよ藩主の退隠と世子の家督相続を聞届けられて、同時にこれまで代々隠岐守と称せらるるのを、特....
砂糖泥棒」より 著者:黒島伝治
助の前につき出した。その規約によると、誠心誠意主人のために働いた者には、解雇又は退隠の際、或は不時の不幸、特に必要な場合に限り元利金を返還するが、若し不正、不穏....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
Tuscany. チンダル Tyndall. 一八二〇―一八九三。一八八二以来退隠。科学者なれど文才あり、著書多し。 ヂュワー(人)Dewar. サー・ジェー....
荘子」より 著者:岡本かの子
のお方とお話をなさるかでした」 「まあ、そうむきにならなくとも宜い。先生は田舎へ退隠なされてからずっと渋くおなりなされたのです」 「そう仰ればもとはあんなにお美....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
は取乱した姿で人の前に出ないように、しばし私の心をととのえるために二、三か月の間退隠させてほしい。私が人々を愛する用意をするためにしばらく暇を、愛する人々にこい....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
栄達を冷笑していた。市川文吉は多少の資産があったからでもあろうが、早くから官途を退隠して釣道楽に韜晦していた。二葉亭はこの両川の薫陶を受けたが、就中古川に親近し....
棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
に逢ったのは、それから何年くらいもたった時分だったでしょうか? その頃には、父も退隠して、最後の任地であった気候の穏やかな静岡の郊外で、悠々と余生を送っていまし....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
子の子なることには、閉口して争わなかったと云い、同書また日蓮の「秋元書」に、身延退隠の事を述べて、「木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし」とあるのを引い....