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「連絡船〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

連絡船の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:島木健作
もなくのことであった。太田は柿色《かきいろ》の囚衣を青い囚衣に着替えると、小さな連絡船に乗って、翠巒《すいらん》のおのずから溶けて流れ出たかと思われるような夏の....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ない。 また瀬戸内海等ヘ、機雷投入を二日つづけてやった。きょうは尾道と四国との連絡船が停まったと出ていた。PB2Yらしい飛行艇も、房州の附近へ姿を現わし、高度....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
ある」と。 元就はそういう家臣の反対を押切って、今の要害|鼻に城を築いた。現在連絡船で厳島へ渡ると、その船着場の後の小高い山がこの城址である。城は弘治元年六月....
玄海灘密航」より 著者:金史良
試みようとしたことがある。それは十八の時の十二月のことであるが、或る事情で堂々と連絡船には乗り込めないので、毎日のように埠頭に出て寒い海風に吹かれながら、どうし....
ふしぎ国探検」より 著者:海野十三
、四次元世界にとり残されていました。ちょうど、海峡《かいきょう》をわたるときに、連絡船がなかなかこないために、船つき場で何日も何日も待たされるようなものです」 ....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
はこの記念塔がかなり小さく遠ざかって行くまで眺めていた。 尾の道から高浜までの連絡船はいい眺めだった。静かな海上と船の揺れ具合と汽船が持つ独特の匂いとは、私に....
わがまま」より 著者:伊藤野枝
関門の連絡船を降りる頃から登志子は連れのまき子や安子がいそいそと歩いていく後から重い足....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ってはなかった。しかしそんな事はどうでもよかった。 そのころ児島丸という美しい連絡船が尾道と多度津との間を往復していたが、その船がちょうど目の下の海を通ったの....
火の扉」より 著者:岸田国士
た時、彼女は、北原ミユキをこのうえ悲しませてはならぬと心に誓つた。 津軽海峡の連絡船はもう三日欠航をつゞけていた。 青森駅からさんなものに思われた。 ひと....
余齢初旅」より 著者:上村松園
てそれを穿こうというわけではないが、その美しさにひかれて買ってしまったのである。連絡船 往路の長崎丸は静かな船旅であったが、帰途の神戸丸は上海を出離れるとすぐ....
中支遊記」より 著者:上村松園
るのかと思っただけで気が揉めるであろうのに、支那人は悠々と待っているのであろう。連絡船にて 往路の長崎丸は静かな船旅であったが、帰途の神戸丸は上海を出離れると....
夢の如く出現した彼」より 著者:青柳喜兵衛
センチを目に浮べて、悲喜交々、闘志を抱いて渡る関門の海峡を、逆に白波を追っていた連絡船の中で、夢野久作の正体を発見したのである。 「オオ、ジッちゃんじゃないか、....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
ある。談話室と寝室と便器附きの広い浴室と、三室続きの豪奢なものだ。つい前まで関釜連絡船としてのこの船のこの特等室は朝鮮総督の使用室だったというのである。私の親愛....
」より 著者:織田作之助
のことです。お前なか/\インテリじゃな。うまく信用されて、船を降りると、その足で連絡船乗場にかけつけた。 汽車の中では大阪につくと直ぐ家に戻るつもりであったが....