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道の辺
「道の辺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
道の辺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「死者の書」より 著者:折口信夫
の、人|棲まぬ田居ばかりである。 片破れ月が、上って来た。其が却て、あるいている
道の辺の凄さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、よるべを覚えて、足が....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
居るに月かたぶきぬ」がある。 ○ はなはだも夜深けてな行き
道の辺の五百小竹が上に霜の降る夜を 〔巻十・二三三六〕 作者不詳 「五百小竹」は....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
と、力とをもっていた。
関所を抜けたらしく、四人の姿は、牧を追って山内と闘った
道の辺に、小さく見えて来た。もう、声は届かなかったが、お互に、手を挙げ、手を挙げ....
「花筐と岩倉村」より 著者:上村松園
ときが、あたかも君が紅葉の行幸に出御あらせられ、このところをお通りなさるときいて
道の辺にお待ち申し上げた。 その姿を君もあわれに思し召されて、越前国を思いいだ....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
たるなりという昔の人の考えを宜ない、国神野上も走りに走り越し、先には心づかざりし
道の辺に青石の大なる板碑立てるを見出しなどしつ、矢那瀬寄居もまた走り過ぎ、暗くな....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
コル(廻道)へ指して出掛けました。ここはラサ府での目抜の所で、罪人などあるとこの
道の辺に晒します。その晒し方にもいろいろある。ただ手錠、足枷を箝めて晒して居る者....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、遠い山は雲母より淡かった。晩春なので、風はぬるくて。―― 熊笹や、藤づるや、
道の辺りは、霧の巣だった。人里から遠ざかるほど、山は、宵に一雨かぶったように濡れ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ることを、自分でも感じているらしいのだ。 ――かくてお通も、道を急いだが、心は
道の辺の草にも措いて、 (あの草の花も、武蔵さまが踏んだ草ではなかろうか) な....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
に、繰返した。銘々は、黙って頷いた。――そして、では行けとばかり、谷川橋から一筋
道の辺りを指して、雲の中へ、掻き消えてしまった。 是ヨリ三十一町 奥之院道 谷....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の育ちを踏んでやるように――ぐいと首根を抑していった。 吉野の桜も褪せたろう。
道の辺の薊も咲きほうけて、歩くには少し汗ばむほどだが、牛の糞の乾くにおいにも、寧....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
神体まで担ぎだしてしまうけれど、辻堂は依然として存立し、草ぶき屋根の朽ちるまで、
道の辺の神としての功力を少しも失わない。 そこで、 「ああ、くたびれた」 と....
「三国志」より 著者:吉川英治
って、堂々と、国内の街道へ兵馬を進めてきた。――忠臣耿武は、その日を剣を握って、
道の辺の木陰に待ちかまえていた。 耿武は、身を挺して、袁紹を途上に刺し殺し、そ....
「三国志」より 著者:吉川英治
に陥ちてしまった。 御車は、南へ向って、あわただしく落ちて行かれた。 街道の
道の辺には、飢民が幾人もたおれていた。 飢えた百姓の子や老爺は、枯れ草の根を掘....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
こから先にも、清見潟、黄瀬川、足柄、大磯小磯、そして鎌倉口の仮粧坂まで、ほとんど
道の辺の花を見かけない宿場はない。 だが、路傍の花も、道々の風光も、何の旅情で....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
うぞ伊吹の御門の方へ」 伊吹の城は、なお不破から北へ、一里余の奥にある。高氏は
道の辺の木々にも、仰ぐ伊吹にも、思い出が深かった。ここを通るのは十一年目であった....