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「道学先生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

道学先生の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
かのように」より 著者:森鴎外
《えら》ぶ所もない。只頭がぼんやりしていないだけだ。極頑固な、極篤実な、敬神家や道学先生と、なんの択ぶところもない。只頭がごつごつしていないだけだ。ねえ、君、こ....
婦系図」より 著者:泉鏡花
く。微笑みながら擦り寄るたびに、たじたじと退って、やがて次の間へ、もそりと出る。道学先生 二十二 月の十二日は本郷の薬師様の縁日で、電車が通るよ....
浮雲」より 著者:二葉亭四迷
飲めぬと云ッたら助《す》けた、何でも無い事。送り込んでから巫山戯《ふざけ》た……道学先生に聞かせたら巫山戯させて置くのが悪いと云うかも知れぬが、シカシこれとても....
青年」より 著者:森鴎外
道徳に頼らなくてはならない、古に復るが即ち醒覚であると云っている人だから、容貌も道学先生らしく窮屈に出来ていて、それに幾分か世と忤っている、misanthrop....
平凡」より 著者:二葉亭四迷
母の手で狼狽《うろた》えた文体《ぶんてい》だ。 私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言《よまいごと》のように思って、鼻で遇《あし》らっていた男だが、不....
堕落論」より 著者:坂口安吾
は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。道学先生は教壇で先ず書物をおしいただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存....
俗物性と作家」より 著者:坂口安吾
か、そんなこととは違うので、平安朝と現代とでは違う。現代では、そうだ。 日本の道学先生は金になろうがなるまいが俯仰天地に愧じざる良心的な仕事をしろ、とか、オカ....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
を悟ったかというと、糸川の復興なくして熱海の復興はあり得ずということなのである。道学先生がいくら顔をしかめてみたって、現実はどうにもならない。遊ぶ中心を失うと遊....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
の位置を承認せしめたは尋常草賊の智恵ではない。馬琴はとかくに忠孝の講釈をするので道学先生視されて、小説を忌む鴆毒に等しい文芸憎悪者にも馬琴だけは除外例になって感....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
あり過ぎた。豪傑とすると神経過敏であった。実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには世間が解り過ぎていた。ツマリ二葉亭の風格は小説家とも政治家とも....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
訓誡、懲罰、刑辟を加えても何の効があるはずがない。今日の感化院が科学の教養のない道学先生に経営され、今日の監獄が牛頭馬頭に等しい無智なる司獄官に一任される間は百....
四十年前」より 著者:内田魯庵
から、社会的には今日の新劇運動よりも一層大仕掛けであって、有力なる縉紳貴女を初め道学先生や教育家までが尽く参加した。当時の大官貴紳は今の政友会や憲政会の大臣より....
霊的本能主義」より 著者:和辻哲郎
いる。身のとろけるような艶な境地にすべての肉の欲を充たす人がうらやまれている時、道学先生はいやな眼つきで人を睨め回す。 いずれが善、いずれが悪、人の世は不可解....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
ですね。 ところがなかなかいつもそうは行きませんよ。 ファウスト おい。道学先生。 どうぞ道徳の掟を己に当て嵌めることだけは免してくれ。 それから君に手....