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道明
「道明〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
道明の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文章」より 著者:芥川竜之介
め、熊野《くまの》の権現《ごんげん》、住吉《すみよし》の明神《みょうじん》なども
道明阿闍梨《どうみょうあざり》の読経を聴きに法輪寺《ほうりんじ》の庭へ集まったそ....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
り宿泊せり。 二十九日(木曜日) 雨をおかして六時頃温泉発、大正池附近川原にて
道明らかならず迷い、山の方へ川原遡れば道に出でたり。それを行く人に逢い焼ヶ岳に行....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
って、戦国女性の気魄も分るが陣中に女を伴っていたことも分る。 片山
道明寺附近の戦
道明寺は河内志紀郡にあって、大阪城の東南|凡そ五里、奈良より堺....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
東西の和睦は既に破れ関東の大軍、はや伏見まで着すと聞えた。 五月五日、この日、
道明寺玉手表には、既に戦始り、幸村の陣取った太子へも、その鬨の声、筒音など響かせ....
「物売りの声」より 著者:寺田寅彦
いていたような気がする。それが持って来る菓子の中に「イガモチ」というのがあった。
道明寺の餡入り餅であったがその外側に糯米のふかした粒がぽつぽつと並べて植え付けて....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、これを尊拝する山伏輩がもっとも平等世界や鶏足崇拝を説き廻っただろう。 河内の
道明寺中興住持の尼、覚寿《かくじゅ》は菅丞相《かんしょうじょう》の伯母で、菅神左....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
評判を取った人である。 でも若い時にはよくしたのであって、明治十七年「手習鑑」の
道明寺の場の苅屋姫で評判をとったし、明治二十四年にした「妹背山」のおみわの役など....
「かくれんぼ」より 著者:斎藤緑雨
になるが冬吉は面白く今夜はわたしが奢りますると銭金を帳面のほかなる隠れ遊び、出が
道明ゆえ厭かは知らねど類のないのを着て下されとの心中立てこの冬吉に似た冬吉がよそ....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
ないように思われます。 上野近くを歩くと田村屋の煙管だとか、十三屋の櫛だとか、
道明の組紐だとか今でも古い看板を降ろしません。浅草の「よのや」も櫛で見事なものを....
「食道楽」より 著者:村井弦斎
です。 第十三 セーゴのマッシ セーゴとは西崑米《さいごんまい》といって我邦の
道明寺糒《どうみょうじほしい》に似た小さい円《まる》い粒で、煮ると粘着性《ねばり....
「三国志」より 著者:吉川英治
く政治の善悪にあって、腐文盛んなるは悪政の反映であり、文事健調なる――その国の政
道明らかなことを示すものである。――最前から各※の声音を通して、この国の学問を察....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
々、河内平野の水、えもいわれぬ」 「すぐ下の流れは、石川です。彼方の屋根は古市や
道明寺。その辺から無数の水をあわせて、大和川になりまする」 「思い出した。“古今....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
えた例しはないのである。 まさに、今夜の形相は、それに近い――。 加うるに、
道明寺川から駈けつけた六波羅兵は、おそらく探題直命の者どもだろう。捕吏、放免など....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
だ。 もちろん、それいぜんから、山上にはあらゆる貯備に努めてはいた。 焼米、
道明寺|糒。 河内名物のドロ芋。 その茎を干したずいき。 また梅漬け、干柿....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
っとも恐れていたものと、予期せるごとくぶつかった。 なにかといえば。 古市や
道明寺あたりの散所民らの反感だった。 かねがね、東国勢にたいする散所民らの反感....