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選科
「選科〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
選科の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三四郎」より 著者:夏目漱石
この男は佐々木《ささき》与次郎《よじろう》といって、専門学校を卒業して、今年また
選科へはいったのだそうだ。東片町《ひがしかたまち》の五番地の広田《ひろた》という....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
けで、中尉も父もすぐ僕の第二案に賛成してくれた。が、僕は語学校を出ればすぐ大学の
選科にはいれ、その
選科からはさらに普通学の試験を受けて本科に移れることをよく承知....
「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」より 著者:西田幾多郎
長室に出入せられるのを見た。法文の教室は下だけで、間に合うていたのである。当時の
選科生というものは、誠にみじめなものであった。無論、学校の立場からして当然のこと....
「私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
位のところに居たように思う。又新渡戸博士は、既に札幌農学校を済《すま》して、大学
選科に通いながら、その間に来ていたように覚えて居る。何でも私と新渡戸氏とは隣合っ....
「山本有三氏の境地」より 著者:宮本百合子
この気持大学を卒るまで続く。夏、北海道及び樺太に旅行。 一九一三年。東大独文科
選科二年生。学校にも殆ど出席せずふらふらした生活を送る。井上正夫、桝本清氏等と謀....
「反抗」より 著者:豊島与志雄
う時、彼はしみじみと力強い気がした。彼女の保護がある以上は、あと二年足らずの大学
選科も、無事に終えられそうだった。 下宿へ帰って、彼は先ず袴を取ってから、思い....
「或教授の退職の辞」より 著者:西田幾多郎
で医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の
選科に入った。当時の
選科生というものは惨《み》じめなものであった、私は何だか人生....
「日記」より 著者:宮本百合子
て居ると云うはなしをいただく。親類の事だの、嫁姑の事などを話して来る。学校の方は
選科がよかろうと云う事である。タゴール氏の演説の声は何とも云えずよかったとおっし....