還御[語句情報] »
還御
「還御〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
還御の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
名火消し、ならびにお城詰めご定火消しの手の者がずらずらと詰めかけて、お成りからご
還御までの間のお固めを承り、沿道にはまた、表警備、忍び警備、隠れ警備の三手に分か....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
してもめずらしいことであった。 当時、将軍|家茂は京都の方へ行ったぎりいまだに
還御のほども不明であると言い、十一隻からのイギリスの軍艦は横浜の港にがんばってい....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
とした。過ぐる年の十月十三日に旧江戸城にお着きになった新帝にもいったん京都の方へ
還御あらせられたと聞く。それは旧冬十二月八日のことであったが、さらに再度の東幸が....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
め申しあげた、あの韓袋の子孫をお墓守りにご任命になりました。 天皇はそれからご
還御の後、さきの老婆をおめしのぼせになりまして、 「そちは大事な場所をよく見届け....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
て奉幣《ほうへい》のことあり、それより日本橋通町すじ、姫御門を抜けて霞ヶ関お山に
還御《かんぎょ》也。隔年《かくねん》、丑《うし》卯《う》巳《み》未《ひつじ》酉《....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
にも相違は無かったらしい。 「かくて時刻も移りければ、やう/\百座成就し給ひて、
還御をよびたまふ。秀吉公西をごらんありければ、すこし引き退きて萱の庵見えにけり」....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
奉るのでありますから、公衆の前に発表するでなくただ上御一人の御覧に供するだけで御
還御の後は直ちにお引き取りになって下さい。右は幹部一同から特にあなたにお頼みしま....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
」 といったなり、塩田氏はばたばたと駆けて行ってしまった。 やがて、聖上には御
還御に相成りました。 で、私は会場に参り、前約通り、もはや用済みのこと故、自作....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
大いに六波羅を破ったので、後醍醐天皇は隠岐国から山陽道に出でたまい、かくて兵庫へ
還御ならせられました。そのみぎり、楠公は金剛山の重囲を破って出で、天皇を兵庫の御....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
涯において最も時を得ました折のことにて、金剛山の重囲を破って兵庫に出で、隠岐より
還御あらせられたる天皇を御道筋にて御迎え申し上げている所で御座いますと奉答をされ....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
り扱い、行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、行在《あんざい》に止まらんとすれば「
還御《かんぎょ》」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
おん》三社、その牛頭《ごず》天王祭のお神輿《みこし》が、今日は南伝馬町の旅所から
還御になろうという日の朝まだき、秋元但馬守《あきもとたじまのかみ》の下屋敷で徹宵....
「三国志」より 著者:吉川英治
後軍校尉鮑信などがめいめい数百騎をひきいて来合せ、帝にまみえて、みな哭いた。 「
還御を盛んにし、洛陽の市民にも安心させん」 と、段珪の首を、早馬で先へ送り、洛....
「三国志」より 著者:吉川英治
がただよって、そこに一抹の暗影を感じないわけにはゆかなかった。 やがて、帝には
還御となる。 玄徳も洛中に帰った。その後、彼は一夜ひそかに、関羽を呼んで、 「....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
――かくて、つきぬ御遊の後、お帰りとなったのは、夜もほの明けていた頃だった。
還御は雪の中。 やがて、夜どおし陣ノ内(警固区域)に立武者していた滝口や六波羅....