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還暦
「還暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
還暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
のまま地獄の果までも引っ提げて行こうほどの激しいひたむきな執念だった。されば既に
還暦を越した老紳士で人柄としては無口な穏かな人でありながら、家庭と云うものにかけ....
「河明り」より 著者:岡本かの子
の方がまた 「だめ、だめ、そんな普通な手じゃ。あたしいつか、こちらさまの大旦那の
還暦のご祝儀がございましたわね。あのお手伝いに伺いましたとき」といって言葉を切り....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
十三年の春頃であったか、福岡名産、平助筆の本舗として有名な富豪、故河原田平助翁の
還暦の祝賀能が二日間博多の氏神櫛田神社で催された。番組は記憶しないが、京都から金....
「田園雑感」より 著者:寺田寅彦
うに糸目をつけてかつぎ込んだなどという話さえある。 子供の初節句、結婚の披露、
還暦の祝い、そういう機会はすべて村のバッカスにささげられる。そうしなければその土....
「或る画家の祝宴」より 著者:宮本百合子
眺めているうちに、不思議なことに注意をひかれた。その夜は、明治、大正、昭和と経て
還暦になった或る洋画家のために開かれた祝賀の会なのであった。この燈火の煌いた華や....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
のだ。 山キの当主、不破喜兵衛は当年六十一。一月十三日というこの日が誕生日で、
還暦祝いを葬式でやろうというのである。 厄払いの意味もあった。甚だ老後にめぐま....
「離魂病」より 著者:岡本綺堂
心持だったが、今まで無事に生きて来て、子供たちもまず一人前になり、自分もめでたく
還暦の祝いまで済ませたのだから、もういつ死んでも憾みはないよ。ははははは。」 ....
「鍬と鎌の五月」より 著者:黒島伝治
出て歩けば尾行がついて来る。それが結婚のことで帰っていてもそうなのである。親爺の
還暦の「お祝い」のことで帰っていてもそうなのである。嚊を貰って、嚊の親もとへ行っ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
を受けた猫のために謝罪する心持で、鰹の刺身だけは口に上さぬように心掛け、六十一の
還暦までは、それを堅く守っておりました。六十一は一廻りそれからは赤ン坊から生まれ....
「回想録」より 著者:高村光太郎
会という名は斎藤与里さんがつけたのである。私は帰国して暫くした時で、父が六十一の
還暦の祝でその肖像を私が作ったが、それが新傾向だというので評判になり、フューザン....
「自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
出す。 私は外国に居る間、外に肖像を作らなかった。日本に帰ってから丁度父光雲の
還暦の祝があり、門下生の好意によって私がその記念胸像を作ることになった。まるで新....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
坐っておってその当時のことを考えると不思議な気がします。 私の父兼松は、もはや
還暦に達した老人となったが、至極達者なもので、私が一家のことをやっているので、隠....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
た。けれども私は、そんなのは勿体ないと、型ばかりのにしたのでした。その娘がもはや
還暦なのです。とんだ昔話になりました。 今一つの友禅の切れは、森の母が久しぶり....
「五十年をかえりみて」より 著者:宮城道雄
とを心から感謝いたします。 私は九歳の年の六月一日に箏を習い始めてから、今年が
還暦祝などというと、自分でじじくさく感じて心細くもある。しかしこの年を機会に若返....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
豪は、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の慶福であった。六十三という条、実はマダ
還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で、息の通う間は一行でも余計に書残したいと....