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里数
「里数〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
里数の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
当てなしに注ぎ、右へよろめき、左へよろめき、西に向かって歩くのである。 今日の
里数をもってすれば、本栖村から人穴村まではおよそ三里十町もあろうか、村には戸数三....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
十里四方三里四方というようななわ張り書きがあったときは格別、単に江戸追放とだけで
里数に制限がないとなると、よくこの新宿や品川の大木戸外にひっこし、大いに江戸を離....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
いましたね。」 「十六里さ。わたしは道中記でそれを調べて置いた。」 「江戸までの
里数を入れると、九十九里ですか。」 「まあ、ざっと百里というものでしょう。」 ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
高清水まで敵城は無いと云う事であったが、それは真赤な嘘であった。中新田を出て僅の
里数を行くと、そこに名生の城というが有って一揆の兵が籠《こも》って居り、蒲生軍に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た道だそうですから、それをお通りなさるのが芳浜からは順でございましょうよ。左様、
里数にしたら六里もありましょうかな」 こんな話をしている時に、船が大きな音を立....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
初瀬の方へ廻ると榛原《はいばら》から一里十七町、三輪、桜井、八木へ出て南へ下る」
里数を、あれからこれと数え立てられて一座の浪士は烟《けむ》に捲かれる。 「さあ、....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
るものをさ、あとで気がつけば青森へ着いてからでも御沙汰は同じだものを、ちっとでも
里数の少い方がお詫がしいいだろうでもって、馬鹿さが堪らない。お前さん、あたふた、....
「地図にない街」より 著者:橋本五郎
なかば夢のようにそうして歩いているうち、寺内氏はいつか浅草の公園へ来ていた。
里数にすれば三里近くもあるところを、いつの間にか瓢箪池《ひょうたんいけ》の、あの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
れは至極、都合のよい話のようですが、遠くないといっても相馬ですから、どのくらいの
里数と時間とを要しますか」
「左様――おおよそ五十五里――まず六十里足らずと思え....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
かな。せっかくの石碑がこうヨタで固められては有難くねえ――だが待てよ、これは昔の
里数かも知れねえぞ――それとも支那
里数で行っているのか」 七兵衛としての興味と....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
もう少し大ざっぱな数字でいえば、九十九里を四十七里半あたりのところまで、日本
里数の十五里と見れば、七里半あたりのところまで進みつつありながらの、以上の会話で....
「翩翩」より 著者:田中貢太郎
たれ死をするのが、恐ろしいので、乞食をしながら西へ西へと返っていった。毎日シナの
里数で三、四十里も歩いて、やっと汾の境までいったが、敗れた着物を着てひどく汚くな....
「雪女」より 著者:岡本綺堂
はがっかりした。 日は暮れかかる、雪は降って来る。これから満洲の田舎路を日本の
里数で約三里も歩かせられては堪まらないと思ったので、堀部君は途中で供のシナ人に相....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
里余」 とある。位山と船山は高山や水無神社から頂上まででも一里半か二里ぐらい。
里数が違う。そこで、位山は乗鞍だというのが郷土史家の定説である。むかしは乗鞍を位....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
くれろという事でした。
の高山でその路程は四十八|哩、直径およそ三十五哩、日本の
里数にして十四、五里位なものです。
この山に登るとラサの法王の宮殿が見えるとい....