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「野間〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

野間の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
地球図」より 著者:太宰治
漁夫たちが見つけた。また、その日の黄昏時《たそがれどき》、おなじ島の南にあたる尾野間《おのま》という村の沖に、たくさんの帆をつけた船が、小舟を一隻引きながら、東....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ので、ふたりは先ず神奈川の宿にゆき着いて、宮の渡しから十六文の渡し船に乗って、平野間(今の平沼)の西をまわって、初めて横浜の土を踏んだのは、その日の夕七ツ半(午....
ゴールデン・バット事件」より 著者:海野十三
て家を出掛けたのだった。 「最初はここだよ」 と彼は云って、バットの近所にある野間薬局の店先にずかずか入っていった。 「ちょっと劇薬売買簿を見せて貰いたいので....
廃墟から」より 著者:原民喜
きなかの》間を折返し運転しているらしく、全部の開通見込は不明だが、八本松・安芸中野間の開通見込が十月十日となっているので、これだけでも半月は汽車が通じないことに....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
イデオロギーの機関として機能することは出来る筈がないし、又嘗ての『無産者新聞』を野間清治に売り渡すことも不可能だったろう。でファシストや挙国一致の社会ファシスト....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
の機能の規定方となって来るのである。キング式大衆の観念はキング式ジャーナリズム(野間イズム?)となり、ウルトラ的な大衆観念は福本イズム(?)的ジャーナリズムとな....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いう人のことで、かなり発句も出来て藩以外の宗匠達とも交際をしていた。今松山に居る野間叟柳氏などもこの人の門人だと聞いている。かような御家老の手紙を、糸車造り風情....
古典竜頭蛇尾」より 著者:太宰治
る作家西鶴でさえ、かれの物語のあとさきに、安易の人生観を織り込むことを忘れない。野間清治氏の文章も、この伝統を受けついで居るかのように見える。小説家では、里見|....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
た。雨が降り出して、それでもどうやら電車で来られて、音羽へさしかかったら、折から野間清治の葬式で、講談社の前は電車一停留場の間だけ、往来の左右まで花輪と人垣、車....
九条武子」より 著者:長谷川時雨
の身近かな人々からも指導と協力を得ているといい、筆者はもうすにおよばず、発行が、野間清治氏の雄弁会出版部であり、およそ間違いのないものであること、著者の序に、初....
」より 著者:佐藤垢石
その帰途、岩淵駅で下車し富士川橋の宿へ帰る道中で、私は大怪我を負った。ちょうど、野間清治の別邸の前である。私は夕闇の東海道を西から東へ歩いて行くと、暗の中から自....
春宵因縁談」より 著者:佐藤垢石
経に細かい顫動を与えたことであろう。 さて、星うつり物かわり昭和十三年の暮れ、野間清治のあとを継いで頼母木桂吉は、報知新聞の社長となってきた。新社長は、大晦日....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
、折節帰省中であった下村|為山君を中心として俳句の研究をしつつあった中村|愛松、野間|叟柳、伴狸伴、大島|梅屋らの小学教員団体が早速居士の病床につめかけて俳句の....
帯広まで」より 著者:林芙美子
ったのだ。伊代は、そう言う男達に触れながら、九太を想い出すのであった。新聞記者の野間と云う男は髪が少年のように素直であった。会社員の関と云う男の肩はライオンの様....
このたび大阪」より 著者:古川緑波
。もう全く食う気のしないものばかり。三年も行かないうちに、世も変る。十九日 南の野間の天ぷら。お上品で、軽くて、いくらでも食える。二十日 北の駅前、香穂のお狩場....