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長次郎
「長次郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
長次郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
若旦那は八畳にいたんですか、四畳半の方ですか」 「四畳半の方におりました。庄八、
長次郎、和吉という店の者と一緒に居りました。庄八は衣裳の手伝いをして、
長次郎は湯....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
なりました」 八州廻りの目あかしの中でも古狸の名を取っている常陸《ひたち》屋の
長次郎が代官屋敷の門をくぐって、代官の手附《てつき》の宮坂市五郎に逢った。
長次郎....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
そんなことはお弟子のうちでも其蝶という人がよく知っている筈です」 其蝶は本名を
長次郎といって、惣八と同商売の尾張屋という家の惣領息子であるが、俳諧に凝りかたま....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
月中頃には材木坂を登って室堂にいたり浄土山、雄山、大汝峰、別山と縦走し劔岳を極め
長次郎谷を下り小黒部を経て鐘釣温泉へ下山、八月終りには戸台を経て仙丈岳を極め引返....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
人相です。知っている者は知っているが、知らない者は知らない。この男は、たしか春日
長次郎といって、先年、柳川一蝶斎の一行の参謀として西洋へ押渡ったはずの男でありま....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
は日本橋馬喰町の裏町に玉村という餅菓子屋がありましたが、その直ぐ隣りの煎餅屋の悴
長次郎という若者でした。この人の来た時分は、前に話しました三河屋の隠居と私が懇意....
「勘平の死」より 著者:岡本綺堂
がうしろ向きに横たわっている。角太郎は半死半生で唸っているのを、店の若い者庄八と
長次郎が介抱している。若い番頭和吉、二十四五歳、千崎弥五郎のこしらえで少しくあと....
「案内人風景」より 著者:黒部溯郎
持にならざるを得ない。いわば第二期に位する者に、現在、芦峅の平蔵があり、大山村の
長次郎があり、音沢村の助七があり、中房の善作があり、大町に玉作、林蔵、が生きてい....
「霧の中のヨードル」より 著者:中井正一
氏、長谷川写真班員等も同行した。 そのとき剱と立山の「主《ぬし》」、かの有名な
長次郎と平蔵がその郎党と共にこの行に参加した。 私も、写真機を肩に、一学生とし....
「現代茶人批判」より 著者:北大路魯山人
かむずかしいところだ。だから軽率におしゃべりは出来ないのである。 利休によって
長次郎の茶碗が生まれたというような見解、古田織部によって織部陶が生まれたのだと伝....
「西航日録」より 著者:井上円了
館得業生潮田玄乗氏来訪あり。翌十七日午前上陸、県知事服部一三君および特別館賓伊藤
長次郎氏を訪問す。午後伊藤氏、余を送りて本船に至る。当夜四面雲晴れ、明月天に懸か....
「春水と三馬」より 著者:桑木厳翼
を見れば、此の如き臆測を容れる余地が無いとも思われない。現に此書の末尾には春水事
長次郎と実名が出て居るから、二代目春水などの作と見ることは出来ない訳である。即ち....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
。明日は中村君が此処から鐘釣温泉へ向う筈である。南日君は南日君で、暢気な男だから
長次郎が旨く来ていて呉れればいいがと、自分の暢気は荷物と一緒に棚に上げて、頻りに....
「黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
り、又冠君の黒部探検にも欠かさず案内者として、其成功に貢献する所の大きかった宇治
長次郎の父は、山廻り役の人夫として同行したことがあるということを、同人からも弟の....
「八ヶ峰の断裂 」より 著者:木暮理太郎
われないことであろう。此迂廻は少くとも六時間前後を要するそうである。 私は今年
長次郎と他に二人の人夫を伴って南日、森の二君と共に五竜方面から此山稜を縦走した。....